毎日死を考えしまいます。
最近毎日死ぬ事を考えてしまいます。
鬱で通院経験がありますが、ここ数年は自分で仕事を始め、それなりに楽しく生きてきました。ただ最近は何もやる気が起きず、自然と涙が溢れてきます。
現在精神科への通院はしてませんが、内科で睡眠薬を処方してもらっています。仕事でやらなければいけない事があっても、気分の落ち込み、不安に耐えられず、逃げだと分かっていても睡眠薬を飲んで寝てしまいます(大量に薬を飲むとかではありません)やらなければいけない事がどんどん溜まっていきます。
おかしいかもしれませんが、中学生の頃なんとなく、あーきっと自分は将来自殺するんだろうな〜と思った事を覚えています。両親の様に生きたくなかった。けどどう生きていいか分からないまま、ただ年齢だけを重ねてしまいました。
社会に出てからは楽しい事もたくさんありました。でも最近はいよいよその時(死)がきたのかと思ってしまいます。僕には自分で人生を作っていくことができません。コツコツと前向きな積み重ねが出来ません。
もう終わりにしてもいいかなと思ってしまいます。すぐに実行する気はありませんが、今後思い立った時にすぐに実行出来るように七輪を買っておく事を考えてしまいます。
人生は自己責任だと思います。何も積み重ねて来なかった私の人生もそうです。私は結局楽がしたかっただけなんだと思います。
本当は生きたいです。死ぬのはいやだけど今後良くなるとも思えない人生、それと良くなる為の小さな努力も出来ない自分に疲れてしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
私も幼少の頃からそのように感じることはありましたね。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
とはいえ私達は今現在も己れの死に向けて進み続けております。
今あなたは自分の人生の道半ばです。これから様々な出来事があなたに訪れることでしょうし、そこから一喜一憂もあるでしょうし、そして様々な巡り合わせの中で気がついていくことも沢山あるでしょう。それはあなた自身の人生の意味や価値や目的も見つけていく道程です。
あなたの人生は今道半ばです。
人生は暗中模索ですし、何が功を奏していくのか誰にもわからないです。
ですからあなたのこれからの未来についてもまずはあわてずにじっくりと歩んでいくことです。
そして合間合間に医師に相談なさって対処することも必要でしょうし、様々な方々から支援を受けたりアドバイスを受けたりすることもとても大切なことかと思います。
人生はそう簡単ではありませんし、単純ではありません。またあきらめるものでもありません。
あなたの未来はこれから様々な出来事が巡ってきますし、様々な方々とのご縁も結ばれて参りますからね。
七輪は人をあたためる為の道具ですからね。
しっかりと正しい使い方をなさって下さい。七輪を作った方々の為にも七輪自体の為にも正しい使い方をなさって下さいね。
あなたがこれから心穏やかに充実した毎日を過ごしていかれて己れの人生を正しく歩んでいって下さいますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。
人生を繰り広げる私たちの命に、自己責任を問うことは出来ない。
こんばんは。亀山純史と申します。
ゆうさんの人生には、いろいろなことがあったんだろうとご察し致します。そして、今回、ハスノハにご相談を寄せていただき、ありがとうございました。ご相談の中に出てきた「人生は自己責任だと思います」という一文を手掛かりに、回答させていただいています。
私たちが自分たちの人生をどう生きていくか、ということに対しては、自己責任かもしれません。しかし、人生を作り上げていく私たちの命に対して、自己責任を問うことがあってよいのでしょうか。人生の主人公は私たち一人ひとりです。そして、私たちの命は私たちが作り上げたものであり、私たちが管理するべきものであるならば、そこに自己責任ということが生じる余地があるかもしれません。でも、私たちの命は、もともとは仏さまから頂いたものです。仏さまから頂いた命の営みの中で繰り広げられる人生には、自己責任が生じる出来事も起きるでしょう。そして、命そのものも自分が作り上げたものであるならば、そこにも自己責任は生じるかもしれませんが、命そのものが仏さまからの頂いたものであれば、そこに(たとえば、何でこんなことも出来ない命なんだ、などという)自己責任はあり得ないのです。そこにあり得るのは、ほかの誰にも代えることが出来ない、尊い命であるということなのです。
以上が私からの回答です。人生に悩んだら何度でもハスノハを利用してください。
種まき
ゆう様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
種を蒔かなければ、花は咲きません。
もちろん、花が咲くのはもっと先であるかもしれません。
下手すれば、数十億年先かもしれません。
それでも、種を蒔いて、育てなければ、花は咲かないのであります。
仏教においてならば「菩提心」が、悟りという花を咲かせるための種となります。
もちろん、幸せも、種が必要になります。
その種は、今世ではなく、来世、来来世に実を結ぶかもしれません。
それでも諦めてしまって、種を蒔かず、芽を育てずでは、花は決して咲くことはないのであります。
今世も、そう簡単に諦めてしまってはいけません。来世へと向けても、しっかりと種を蒔き、芽を育てたいものであります。
できれば、「菩提心」という種を仏教により心に植えて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌