命を救えなかった後悔と罪悪感
お世話になります。
先日、家の近所を歩いていたら道路の側溝(深さ70~80㎝くらいの排水溝)の下に転落している仔猫を偶然見つけました。
側溝には網状の蓋がしてありましたが、仔猫が転落するくらいの隙間があり、何とか蓋をこじ開けて助けようとしたのですが、仔猫は怖がってしまい、すぐに下水に繋がってる小さな横穴に逃げ込んでしまいました。
仔猫が横穴から出てきた瞬間に救い出そうと思ったのですが、少し顔をだしても人の気配がするとすぐに横穴に逃げてしまい保護できないという状態が続きました。
仔猫はずっとニャアニャア鳴き続けていて何とか誘い出そうとご近所の方や、一時消防の方にもご協力いただいて何日も救出を試みたのですがとうとう鳴き声が聞こえなくなってしまいました。
仔猫の気配は消えてしまい、下水の本管に転落してしまったのかもしれません…。
今は仔猫が助けを求めて必死に鳴いていたのに救えなかったという罪悪感や無力感でいっぱいで、最初に見付けた時にもっとこういう風に行動していれば助けてあげられたかもしれないという後悔ばかりが頭に浮かび、どうして救ってあげられなかったんだろうとずっと悲しい気持ちのまま塞ぎこんでいて涙が出ます。
前に進みたいと思う一方、仔猫のことを忘れたいわけではないのです。
どうかご助言をお願い致します。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最期まで、子猫ちゃんを気にかけてくださり、ありがとう。
そんなことがあったのですね。。。
いつまでも、弱々しくなる鳴き声が、脳裏に焼きついて離れないでしょうね。
最期まで、子猫ちゃんを気にかけてくださり、ありがとうございます。
その想いが、子猫ちゃんに届くといいなぁ。
大きな生き物(人間)が、目をギラギラさせて、自分に手を伸ばしてくる。子猫の目線だと、それも恐怖だったのかもしれませんよ。
私たちが頑張れば頑張るほど、怯えてしまったのかも。
どこまでいっても人間は、自己中心目線でしか考えられませんから。助けたい想いも、うまくいかないときもありますね。
それも、子猫の厳しい人生だったのでしょうね。
今できることは、短くも儚い命に、手を合わせること。
命のあり方を教えてくれてありがとうと。
私も手を合わせますね。
質問者からのお礼
中田三恵様
お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
御言葉ありがとうございます。
仔猫のことを思い出すと今も心が痛みます。
そして、あの時どうしていれば良かったのだろうと自問自答することも多々あります。
忘れてしまえたら楽なのかもしれませんが、やはり頑張って生きようとしていた仔猫がいたことを忘れたくないという気持ちが強いため、ずっと忘れずに心に留めておきながら手を合わせたいと思います。
中田さまの御言葉を拝読し、改めて色々な感情が押し寄せ涙が流れました。
お優しい御言葉本当にありがとうございました。



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