三帰依文について
テトラレンマ男性/50代
回答 1
有り難し 3
浄土真宗の三帰依文に、
この身今生に向かって度せずんば、更にいずれの生に向かってかこの身を度せん
という文が有ります。
度、と言うのは彼岸に渡る事ですが、これは聖道門の文では有りませんか?
極楽往生は、度とは言いませんよね?
キリスト教の神は否定する。 大乗仏教の信仰も疑問が有る。 唯一、釈尊の八正道だけを信じている。
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広い意味で往生も含む
浄土門徒がその文を読んだ場合は、ほぼ直感的に「度」に「往生極楽も重ねて」イメージするのではないかと思います。
浄土教の前提に末法思想があり、末法時代に突入しているこの世で悟るのは難しい、だから、まずは悟り易い環境である極楽浄土への往生の切符を確実につかもう、と考えます。
せっかく人間に生まれて仏教に出会えた今生。
このワンチャンスを逃さないための最適な方法が往生極楽を決定すること。
浄土門の人は、そういう頭でその文を読むと思いますので、「度」には「往生極楽」又は「決定往生」という意味も含むと考えて良いと思います。
(仏教学の研究者の解釈がそのとおりかはわかりませんが、現場の念仏者の感覚はそうだと思います。)
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有り難し
質問者からのお礼
御回答有難う御座います。
浄土門の方にとって、彼岸とは極楽浄土のことだったんですね。
よく分かりました。
有難うございました。