世の中の方たち
こんばんは。
いつも、ありがとうございます。
世の中の方たちの多くが、実はたくさん勉強をしていることに、ここ数年で気づきました。
素朴な疑問なのですが、みなさん、なぜ勉強できるのでしょう?
勉強して自分も可能性を広げたかったです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世の中の為
道元禅師は「勉強する時はまず『他者のために』という願かけを持ちなさい」と言いました。
やっぱり勉強のための勉強って辛いと言いますか、どうしても面倒くさいと私は思うんですよね。でも、何をしたいのか?という目的に向けた手段としての勉強は違います。目的に向かって進んでいることが楽しいわけですから。もちろんそれでも面倒な時は面倒ですけど、その目的が逃げられないものであればあるほど、手段である勉強からも逃げられなくなりますよね。
それに、仏教でもとりあえず仏教に詳しくなろうと勉強のための勉強をした人には排他的な人が多いです。「◯◯仏教は真の仏教じゃない!俺の考えた最強の仏教こそが正義だ!」「揚げ足ポイントはどこじゃー!揚げ足ポイントはどこじゃー!」「昨今の御朱印はスタンプラリーだらけでケシカラン!…と1ヶ寺1ヶ寺陰口を叩きながら巡ってるワシは立派!」みたいに。
それは『他人のため』という慈悲が無いからに他なりません。勉強して勉強して勉強して、その結果、他人を攻撃せずにいれない人になってしまうなら学ばない方がマシですよね。
勉強したことを人のために活かしている自分をイメージしてみる…そうしながら勉強してみてはどうでしょうか?
相手は人じゃなくてもいいんです。草木や生物のため、地球の環境のため、あるいは自治体のためとか神仏、ご先祖さまのためでもいいんです。そうすると楽しくなってくるかもしれませんね。
人間は死ぬまで勉強ですよ。
こんな話を聞きました。
あるお寺の高齢の老僧は毎晩のように英単語を覚えていたそうです。若いお坊さんが言いました。「なぜ今更英語の勉強をされるのですか?」老僧は答えました。「次に人間に生まれ変わった時に早く英語を覚えられるじゃろ。」
勉強といっても色んなことが勉強ですからね。料理や掃除も勉強ですし、人と話をすることも勉強です。このハスノハも私にとっては勉強でもあります。
お互いにこれからもいろいろな勉強をしましょう。
質問者からのお礼
三宅聖章さま
御回答頂きまして、ありがとうございます。
老僧さんのお話しは面白いですね。死ぬまで勉強ですね。
身の回りのこと、全てが勉強の対象になるんですね。頑張りたいと思います。ありがとうございます。
大慈さま
御回答頂きまして、ありがとうございます。
何かのため、誰かのため、勉強していけばモチベーションになるんですね。
もう年齢的にも、自分のためだけではもったいない気もします。
排他的になるのも悲しいですし。
ありがとうございました。