生きる活力が生まれません
人に相談すると笑われてしまうかもしれないような内容なので、ここで相談させてください。
私は日本史がとても好きで、日本史を勉強することがなによりも楽しいような学生です。いつも心の支えはとある歴史上の人物でした。
私には親しい友人(以下Aさん)がいます。クラスで一番仲の良い友達ですが、ここ3〜4ヶ月でAさんがだんだん私の負担になるようになってしまいました。Aさんは毎日のようにネガティブな(例えば死にたいなど)メールを私に送るようになりました。最初は私も毎日違った形で励ましていましたが、それにもだんだん疲れてしまっています。放っておくとAさんのネガティブはどんどんエスカレートし、翌日学校で会うことを考えると返信せざるをえません。
私にとってストレスなので、一度そういうことを伝えたのですが、Aさんは「ごめんね、やっぱり私なんて…」となってしまい、結局私が励ますことになります。離れようと思っても、Aさんに「私にはねもちゃんしか友達がいないから」「一人になるのは絶対に嫌だ」と言われそれもできません。
友達が辛いときに励ますのは当たり前だと思っていますが、毎日のようにこれが続いているのでさすがに疲れてしまいました。
でも、私の心の支えであるその歴史上の人物のことを考えたら、Aさんと付き合っていくことも頑張ろうと思えていました。心の中では神様のような存在でした。
けれど、最近あることがきっかけでその人がもう既に亡くなっているという事実を突きつけられ、心の支えがなくなってしまいました。今まで耐えてきたストレスが一気に押し寄せてきました。涙が止まらず夜眠ることもできず、精神が不安定です。学校に行くのも辛いです。
Aさんにはどういう対処をしたらよいでしょうか。精神をたもつにはどうしたらよいですか……なにか少しでもきっかけが欲しいです、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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リピートしてあげる
こんばんは。私も専攻は日本中世史で、「社会史」が流行始めた頃でした(網野義彦・阿部謹也)。おお、名前を見るだけで懐かしいです。ありがたや。
それはさておき、ネガティブ発言にどう付き合うか、ですね?これはずっと先まで、子育てする時まで使えるので、是非どこかに覚えておいて下さい。
それは「相手の気持ち(と期間)をリピートしてあげる」ことです。まぁカウンセリングのイロハとされていますけれど、相手が話す中で、何か気持ちを表す言葉が出たら、「そう、○○なんだね」とリピートする。そして黙って相手を待つ。自分のアイデアとかアドバイスを言ってはいけません。それが如何に無意味か、既に体験されたでしょう?
大切なのは「悩みを持った本人が、本人なりの”一歩進む方向を見出し、一歩をあゆむ”」ことです。世の中にカウンセリングと名の付くものは沢山ありますが、これはロジャースという方のまとめた「来談者中心療法」と言います。
ともすれば「ただのオウム返し」「生産的じゃない」とか言われてしまうのですが、目指すゴールをはっきり持っていないとダメです。「本人が、自分の気持ちを明確に掴むこと」です。その上で、あなたがそれを理解したと表明してあげることです。本人が自身の気持ちに向き合っていなかったり、ボンヤリ捉えているだけの状態は、解決に向かっていないのです。その明確化をお手伝いする。それがあなたの役割です。
ここで大事なのは「待つこと」です。沈黙が続いても、あなたが口火を切ってしまうと、Aさんはそっちに心を奪われ、自らの内面を見ることを避けてしまいます。で、「それ、なんか違う…」とか、あなたについての話を始めてしまうのです。
あなたは彼女を大切に思うから、「やっぱ、私なんて…」というフックを打ってきた時に乗ってあげるのでしょう。「ううん、そんな事ないよ、友達だもん」って。で、その一発の次が大事です。「つまり、それだけ辛いんだね」を返します。そして待つ。会話は途切れるでしょうけれど、電話は切れない。その場から立ち去らない。「彼女が自分を探るのを、隣りにいて見守る」立ち位置です。彼女が自分から切ろうとしたら、去ろうとしたら、「うん、じゃあまた話してね」と切らせてあげる。彼女が自分と向き合うためにです。このやり方、調べてみてね。
心の中で生きる。
いろいろ大変ですね。お察しします。
私の場合、死にたいをそのまま受け取ると気分が重くなるので、
死にたいくらい辛い気持ち。という扱いで聞くことにしています。
死にたいくらい辛い気持ちは確かに聞いた。
話を聞くことはできるけど、死にたくなる気持ちを簡単に変えられない私も自分自身のことが悲しい。
100点満点の答えを返すことができず、聞くことしかできないけど、
それでも友達でいい?
というスタンスでいます。
また、歴史の人が亡くなってショックを受けているとの事ですが、
死そのものよりも、死をきっかけに生きた証が無かったことになり、
存在を忘れ去られていくことの方が悲しみは深いです。
身体は死んでも、残された人の中に記憶は残る。
悲しみが深いゆえの不安定さかと思いますが、
ねも様の心の中で生き続けることを願っています。
参考にならなかったらゴメンなさい。
参考にできるところあれば使ってください。
自分でどうにかしようとしない
そうした心に何か抱えた人を正義感で私がどうにかしなきゃとは、思わないでください。そこは、プロのカウンセラーに任せて良いところ。あなたまで病んでしまいます。
学生さんなら、学校にスクールカウンセラーという人がいるはず、そこまであなたが導いてあげればいいのです。
あなたも一人で考えないですみ、気持ちが楽になるでしょう。あなた自身がそこで思いを吐き出しても良いのです。
保健室に行き、先生にスクールカウンセラーの事を聞いてみてください。
力になってくれる人がいると思いますよ。
質問者からのお礼
皆さんありがとうございます。こんな質問に真摯に答えてくださってとても嬉しいです。
Aさんについて、本当にためになりました。友達として私が解決してあげるのではなく、Aさん自身が解決できるように手助けしたいと思えました。校医の先生にも相談してみようと思います。
歴史上の方について そうですよね、忘れられてしまうとその人は完全に亡くなってしまいますよね…再確認することができました。みなさんの言葉が心にしみます。心の中のその人を生かそうと思います。
回答してくださったみなさん、本当にありがとうございました。相談してよかったです!