hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

大好きな旅行が楽しめなくなってきました。

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

私は、怖いものが多くなってきて不便を感じています。
旅行が大好きで、主人との共通の趣味なのですが…

まず、乗り物が怖い。
事件、事故をニュース等で見ると、その映像がいつまでも頭の中に残り、いつ自分もそんな目に合うのではないかと、恐怖を感じてしまいます。飛行機は全く無理です。バスは逃げ場が無いので、最近は苦手になってきました。

そして、観光地。
好きで行っているのに、暗い場所、ジメジメしている場所、狭い場所等と怖く感じる場所が多く、ビクビクしてしまいます。寺社仏閣やお城等が大好きなのですが…平気な場所は全然、平気です。

最大の悩みは宿泊先です。
まず、部屋になかなか慣れず落ち着かない。
古い建物だとなおさらです。
温泉も大浴場だと、一人きりになってしまう時があり怖くて全く、くつろげません。
『貸し切りのようで、リラックスできました』という心境に憧れます。

夜もなかなか寝付けません。
毎回、一泊すると、場所に慣れて、帰る頃に、やっとくつろげる気がします。

主人が色々考えてくれて、車中泊にしよう!と
眠れる大きさの車を購入したり車内を工夫してくれたりしましたが、車を停める場所を探すのも一苦労です。
暗いところ、なんだかわからないけど不安を感じる場所はNGです。

私は病気なのでしょうか?お医者さんに診ていただいた方がいいのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不安を感じる場所って どこですか?

あなたが不安を感じている場所は、そっちじゃないでしょ?
あなたの心の中の方です。
外ばかり見ているからいけないのです。
旅行は楽しいものです。
ですが、道元禅師は、次のようにお示しです。

「いずくんぞ自家の坐牀を抛却して、みだりに他国の塵境に去来せん。
もし一歩を錯れば、当面に蹉過す。」
どうして、この自分自身の心をほったらかして、みだりに外の地にふらついているのか。その始めの一歩を誤っているから、旅先に行く前から家の時点で時点でトラブル発生すんぞ、と。
あなたが正す、治すべきは「外に問題アリ」と思い誤るその心でしょう。
この建物には「不安を感じる」と言いましても、昨日も今日も、その建物に宿泊して何でもなかった人たちだらけです。福岡から埼玉の坐禅会に旅行ついでに来てください、といってもさすがに遠すぎるので、そういうことを正してくれる坐禅会を探してみてください。
よかったらfacebookでも坐禅会をやっています。
グループで探してみて、質問していただけると効果テキメンです。
偽名登録でもいいので、カネもかからんですから質問してください。
参禅とは、坐禅をすることではなく、自分の心をズバリ知ることです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

周囲の情報に踊らされているだけでは

世の中には様々な価値観を持つ人がいます。
乗り物一つでも、船が怖い、飛行機が怖い、新幹線が怖いなど。
宿泊先でも、温泉が苦手、部屋のお風呂しか無理。お風呂がないキャンプなんかできない。などなど。

私は普段車が多いので、久しぶりに電車に乗ったら、そのスピードに怖くなりました。しかし、読書をしていたり、車内の様子に目をやると、なんの問題もなく過ごせていることに安心しました。

テレビなどの事故の映像などを見ると恐怖心をあおられるというところはあるかもしれません。
しかし、今現実は問題なく過ごせているわけです。宿泊していて初めて泊ったところも、どこに何があるか分からなくても、問題なく過ごせます。分からなかったらフロントで聞けばいいのです。それだけ。

夜も目をつむれば家なのかどこなのか分かりません。想像するから落ち着かないのです。現実を見ることが大切。妄想は追わないことです。

修行中よく自宅で寝ている夢を見ました。安心しきって家のベットで寝ているところ、「ジリン!ジリン!」という大きな音のでる振鈴という鈴の音で無理やりに起こされます。すると、そこは僧堂でした。
何の問題もなく緊張感のある修行道場でも安心して眠れるのが人間です。
考え事をせず、軽くお酒でもいただいて、ほろ酔い気分でお布団に入り、お布団のぬくもりを感じているうちに寝てしまいます。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

邦元様
ありがとうございます『それだけ』という言葉にハッといたしました。妄想追わない練習をしてみようと思います。全てにおいて目の前のことを見ていなかったように思います。ありがとうございました。

煩悩スッキリコラムまとめ