世の中の腹立たしい事についてどう考えますか?
みなさんの考え方を教えて欲しいです。
先日、「イライラして外出が嫌」という内容の質問をさせて頂きました。
その丁寧な回答により、自身の中に根幹となる、処理しきれない感情があり、それがあるためにイライラしてしまう、問題は心の乱れだと教えて頂きました。
それからは比較的平穏に過ごせていますが、やはり日々の些細な事にイライラしてしまい、少しの間不快な気持ちになってしまいます(以前よりもマシです)。
世の中の悲しい出来事に対して、すべて悲しくなってしまうと自身の身が持たないのと同じで、世の中の腹立たしい事に対して怒ってしまうと疲れてしまうことは分かってはいるのですが、どうもスッと受け流す事が下手なようです。
ニュースでも連日、腹立たしい出来事が起こっています。犯罪を犯す人、マナー違反者、行動せずに文句ばかり言う人等などです。
自身の根幹にある気持ちを処理しないことには根本的な解決は無理だということは重々承知していますが、気持ちの整理方法として知りたく、世の中の腹立たしい出来事に対して、みなさんはどのように考えているのか気になりましたので質問させて頂きました。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その人の人生を想像してみますよ。
質問読ませていただきました。
たしかに、ニュースなんかを見ていますと腹立たしいこともたくさん起こっていますし、腹立たしいを通り越して悲しくなるようなことも起こっております。
また、街を歩いていると、「ん?」と思ってしまうような人も見かけたりします。
そんなときは、私はその人の人生を大ざっぱに想像してみます。
なぜなら、例えば殺人を犯した人は、生まれながらに「人を殺してやろう」なんて思いを持って生まれたワケではありません。生まれた時は、純粋な心を持った赤ちゃんとして生まれてくるのです。
しかし、この世に人間として生まれてくるには理由がありまして、前世の命の中でやってきたことが積み重なって原因となり、この世に前世の業(ごう)を抱えながら生まれてくるのです。
そして、この世に生まれてからの人生で様々な縁に触れて生きていきます。前世の業とこの世の縁が触れ合って、最終的に結果を生じることになります。
つまり、キレイな心を持った赤ちゃんが、潜在的に抱える前世の業と、人生を歩む中で触れた縁によって、最終的に「人を殺そう」という気持ちを持ってしまったのですね。
ですので、「その人はいったいどんな人生を歩んで、こんな気持ちを抱いてしまったのだろう。きっとあんなことやこんなことがあって、本当に辛い人生を歩んできたのかな・・」などと想像することで、腹が立つと言うよりは、その方に同情の気持ちを抱きます。
まあ、そう考えることによって相手が直接救われるわけではないですし、自分の気持ちがすっきりするわけではありません。
ただ、怒りよりも同情や哀れみの気持ちの方が、人を救う気持ちに近いのかな・・・なんて勝手に思いながら、自分の心を落ち着かせていますね。
何か参考にしていただければ、ありがたく思います。
諸法無我
諸法無我なのです。「全てのものは私では無い」という意味です。世の中の全てのものは自分の思い通りにならない、という意味です。
犯罪にしても事件にしても、もっと身近なトラブルも、更には自分の心も体も、自分の思い通りにならないのです。
それに対して、自分の思い通りにしよう、自分の思い通りになるべきだ、自分の思い通りになるはずだ、自分の思い通りこそ正しい、というような煩悩によって、現実とのギャップが生まれ怒りとなるのです。
ですから、何か怒りやイライラを生じそうになったら「この世は自分の思い通りにならないものなんだ」ということを思い出してください。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり、申し訳ございませんでした。
自分の思い通りにならない→腹が立つ、ということなのですね。
ありがとうございました。