人間が恐ろしく、死に救いを求めてしまいます
こんにちは、はじめまして。
私は静岡に住む、今年23歳になる女です。
私は、人と関わる事がひどく虚しいことだと感じ苦しいです。
昔の話ですが、私がまだ小学生の頃、母と実父はよく激しい喧嘩をしていました。
実父が出ていき、暫く母から精神的虐待を受けました。
母の苦しみも理解できたので、家のことは小学校では内緒にし、一生懸命努力してきました。
2年後に母は再婚しました。新しい父に慣れるようまた頑張りました。
中学3年になり、パニック障害を患い地獄の日々が始まりました。
病気のことはなるべく友人に隠しましたが、本当に頻繁に過呼吸になるので、常にポケットや鞄に発作止め薬を入れて生活しました。
私は気づいた時から浮いている事が多かったです。今も友達はいません。
後にHSPと診断されましたが、本当に敏感に色々なことを感じ取ります。
人が多い場所は多くの人の気持ちを身に受け取り、頭の中がごちゃつきます。
反対に、読書や自然など静かなものは好きです。
母は私が22になった時、急に不倫?で失踪しました。そこから私は義父とその家族と暮らしています。
信頼していた友人に、母が失踪した話をしましたが「暗い話はつまらない、私の家は仲良いからわからない」と言われショックでした。
意を決して義祖父にも悩みを相談した所、「暗い話はつまらないから聞きたくない」と言われました。
友人の愚痴も祖父の愚痴もたくさん親身に聞いたのにです。
昔から、自分の努力が及ぶ範囲でならなるべく人を傷つけたくない・尊重したいと思って生きてきました。
人から辛く当たられるのも自分の至らぬ部分があるからだと思い、たくさん本を読み、不快な思いをさせないよう心を律してきました。
パニック障害で薬なしで外に出られないのなら、尚更自分や他人への理解が必要だと思ったからです。
私は人を傷つけたくありません。
失敗することもありますが、周りの人を尊重し生きていきたいです。仲良くしたいです。
それなのに周りはそうはしてくれないのです。
理不尽だと思いますが、やり返そうと思えません。私が弱い立場なので、仕方のないことです。
死んでしまえば全て一つになり、心が癒される気がしています。
最近は毎日死に救いを求めています。仕事も就けません。
一言でも良いので、至らぬ私にお言葉を頂けますと嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
明るい光がさしこんでくると思います。
ひかり 様 相談ありがとうございます。
7年間のパニック障害
それにHSPという敏感な状況で
ひかり さんは、生きてこられた。
あなたの家庭環境では、そんな状態になって普通だと私は思います。
そして、本を読み、自分を律して
さらに、「私は人を傷つけたくありません。
失敗することもありますが、周りの人を尊重し生きていきたいです。仲良くしたいです。」
は、素晴らしい言葉だと思います。
そう思う事は、理不尽なことではありません。
弱い立場なのはそうかもしれません。
そんな中でも、やり返そうと思わないのは、
本当は、芯が強いように思いました。
仏教では、生きとし生けるものに、本来清浄な心が宿っているとして
「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)」を説きます。
ひかりさん、あなたはこの、自性清浄心が顕れている人ではないですか
あなたが語る、
「傷つけたくない、やり返そうと思わない」
「尊重したい、仲良くしたい」
私は、そのように感じました。
大変な環境だとは思いますが、あなたの語る
自性清浄心が顕れた言葉に、
明るい光がきっと差し込んでくると私は思います。
どうか、そんな希望を失わないでください。
もし、暗い話でも何でも聞いてほしいと思う時は
ハスノハに投稿してもいいし
傾聴を中心に活動している、僧侶やカウンセラーに話してみるのも
心を楽にすると思います。
試みてください。
お読みいただきありがとうございました。
一礼
是非hasuohaで道を求めてください
ご相談拝読しました。
人と関わることに虚しさを感じてしまうのですね。あなたが一人で抱えて耐えてきた問題について、相手の気持ちを考えて言おうか言うまいかずっと悩んできこられ、そして、この人なら、このタイミングならと思って打ち明けたのに受け止めてもらえなかったのですね。
それはとても悲しい…という言葉では言い尽くせないような思いをされたことと思います。
それならば、ここhasunohaで本気で本音でお話をしませんか?
ここでは言いたい事を我慢する必要はありません。いただいた回答を無理に納得する必要もありません。あなたが感じたことを感じたままにぶつけてくださっていい場所です。
たしかに世の中には暗い事や不都合な事をなるべく避けてみて見ぬふりをしたいという傾向はあるのかもしれません。
ご友人や祖父様にもそのような面があったのかもしれませんし、その時は受け止めきれるタイミングではなかったのかもしれません。
しかしそれは問題を先送りしているだけで根本解決には至りません。彼らにとってはあなたの個人の問題に感じたのかもしれませんが、実はあなたがお抱えの問題は誰もが心の奥底に抱える問題と通じるところがあると思います。
仏教はそういう大事な事をごまかさない教えです。寂しさ、虚しさ、理不尽、死…だれもが避けては通れない問題について考察し実践する教えです。
なので一緒にお話をしながら考えてみましょう。実践してみましょう。
死に救いを求めてしまうことはあなたが悪いのではありません。私たちの心は外からもたくさんの影響を受けますし、自分の気持ちは自分の力だけで起こすものではありません。勝手に起きてくるものです。なのでどんな気持ちも否定したり排除しなくてもいいのです。むしろ大事に抱きしめて考えていきましょう。
これは思う通りに気持ちにままに行動するということではありません。気持ちは気持ちとしてしっかり受け止めて、では私はどうしたらいいのだろう?と問いをもって行動・態度を選択していくということです。
考えの上での「死」はたしかに甘美な響きがあるかもしれませんが、リアルな「死」は死に至る過程を伴いますし、「死後」が考えの通りかどうかは誰にもわかりません。
一緒に、「今」の確かな救いを求めましょう。
質問者からのお礼
自分の想いのまま質問を書いてしまったのにも関わらず、暖かい回答ありがとうございました。
私の本当の心の内に耳を傾けて下さる方がいることが本当に嬉しかったです。
光が差し込んでくる時が来る、わたしもそう信じたいのに人の悪意にやられて萎れて悲しい思いをしていました。
けれど、自分以外の方にそう言って頂けて、もう少し希望を信じてみたく思います。
傾聴を中心に活動している僧侶さん、是非お会いしてみたいので調べてみようと思います。
こちらから悩みを相談するだけでなく、色々なお話をお伺いしてみたいです。
暖かいお言葉と、新しい知識を与えて下さり本当にありがとうございました。
質問を読んでくださってありがとうございました。
私は悩みを他人に相談するのは相手に悪いと慮り、人の話は聞くのに自分の問題はいつまでも解決しないこと、辛く思っておりました。
hasunohaでありのままの想いを告げていいとお返事を頂けて、居場所ができた気がして本当に嬉しいです。
世の中は苦しいことや不都合なことに目を瞑る傾向があるとのこと、仰る通りだと感じます。
私はまだまだこの世の不条理なことに疑問を感じることが多いです。
本当はこうなのではないか、そう世の中に疑問を持ち続けることが時に辛いです。
気持ちを受け止め、行動・態度を選択していく。そういう風にできるよう、自分を見つめ直すことを忘れないようにします。
一緒に今を考えようと言って下さり、心が暖まりました。
ありがたい助言、本当にありがとうございました。