実父に早く死んで欲しいと思ってしまいます。
父とは私の実家で同居しています。
私には旦那と一歳半の息子がいます。
母は私が10代の頃に亡くなっており、今は私と主人と息子と父親の4人暮らしです。
私世帯も父世帯も裕福ではなく一緒に暮らすことですお互い助かってる関係です。
父と主人の関係はとても良好で、毎週日曜は父が夕飯を作り、主人のお弁当も父が作っています。同じ趣味の話で盛り上がったりしています。
ただ私は昔から父と合わず、家庭で感じるストレスの7割が父からのストレスです。とても小さな事ですが、小さな事の積み重ねが溜まりに溜まってしまってます。
私の作る味噌汁の野菜の組み合わせや、料理のの味付け、片付けの仕方、細かい事をチクチク言われます。
妊婦の頃は相撲を見て、ほら、(私)出てるよ!といってきたり、今日もたぬきみたいだねぇ〜といわれたりしていました。
母が亡くなる前余命宣告されて入院してる最中に、出会い系に登録してたのも父はバレてないと思っていますが私は忘れられません。
気に入らないことがあるとあからさまに態度に出してきて、それは息子に対してもです。
私に腹立つことがあったりした時に息子に対しても冷たく接するのはどうして?と尋ねると、その一言にカチンと来たのか怒鳴り散らしながら、俺は八方美人じゃないからイライラしながら息子にニコニコなんてそんなのは出来ない!それならもう息子の面倒は見れない!!と言われました。
平気で怒鳴り散らすところも嫌いです。
ため息しか出ませんでした。
主人の車を借りているのに、その車でクラクション鳴らしまくって怒鳴ったりもします。私も息子も乗っているのに。人の車でよくそんなことができるなぁと。
そんな小さな事が積み重なり、父が本気で無理だと思い始めました。ですが子供を産んでしまい、ここを出て行く余裕もありません。
自然と、早く死んでくれないかな、家のローンなくなるし持ち家になるし。とか思ってしまいます。
どうせならもらい事故で死んでくれればお金入るのになぁと。
で、ハッとします。父の作ってくれたお弁当や目尻を下げて息子と遊ぶ姿を思い出して、なんてことを考えてるんだと涙が出そうになります。
最近は死んでくれないかなと思う回数も増えました。
最低な娘だなと思います。
つらいです。このままの現状も、そう思ってしまう自分も、気付けば何もかもがつらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
距離をあけることはできませんか?
質問読ませていただきました!
実の父に対してそのような感情を抱くこと、自分でもコントロールできずに辛い思いをされていることと思います。
さて、実の親子であるとはいえそれぞれ一人の人間同士、相性の良し悪しもありますし、色んな思いがあるでしょう。
そして、それに合わせて適切な距離というものもあります。
今の距離で積み重なってきた、ゆずのははおやさんがお父さんに抱いている感情は、必ずお子さんに伝わります。
そして、お父さんへの負の感情が積もれば積もるほど、必ずそれが行動となってあらわれてきます。お子さんはそんなお母さんを見て育ちます。そのときにどう思うでしょうか。「お母さんはおじいちゃん対して冷たい、酷い人だ」と思って育つかもしれません。もしくは「お母さんは自分の親に対して酷い仕打ちをした。親に対してはそういう扱いで良いのだ」と思って、育つかもしれません。もちろん、他の可能性もあります。
しかし、少なからずその姿は大きな影響を与えるでしょう。
なんとか他の場所に部屋を借り、距離をあけることは不可能でしょうか?
もしお父さんの身体が悪く、一人で生活することが難しい状態であれば、お父さんに一人で生活してもらうということは憚られるかもしれません。しかし、質問を読ませていいただく限りにおいては、障害となるのは金銭面だけではないのでしょうか。
たとえば公営住宅などに入居することは不可能でしょうか?もしくはなんとかやりくりして、安い物件でも借りることは不可能でしょうか?
ご主人に、一度素直な気持ちをお話ししてみて下さい。何か、ご家族にとってよい解決方法が見つかるかもしれません。
お父さんは、瞬間ごとに別人
仏教では、人間という存在は、色・受・想・行・識という五つの要素(五蘊:ゴウン)が仮に和合した現象にすぎないと考えます。
人間を日替わり定食にたとえるなら、五つの料理から構成される定食メニューです。
しかも、五つの料理が毎日変わるのです。
今日は好きなメニューばかりだという日もあれば、今日は嫌いなメニューばかりだという日もあります。
また、そもそも「日替わり定食」として毎日連続した定食だと認識していますが、実際には毎日毎日、食べたらその瞬間に終わり、一期一会のパフォーマンスです。
「お父さん」という日替わり定食も、毎日毎日、瞬間ごとに五つの料理が入れ代わり立ち代わり変化しており、しかも、毎日瞬間ごとに浮かんで消えています。
今日のお父さんは、今日の終わりには死んでいる、そして、明日は明日のお父さんが新たに生じているのです。
過去の「おいしくなかったメニュー」を忘れて、「今日のメニューはおいしいか、5品目の中で今日のこの皿はおいしいか」を判断されてはどうでしょうか。
過去の怒りを引っ張りながら味わうと、不味くない今日のメニューまで不味く感じますから。
それでも、「もうこの店の定食は二度と食べたくない」と思うなら、お父さんと別居する選択も良いと思います。
怒り(殺意)はストレスになります。
怒りが持続するのは心身に悪影響を与えかねませんので。
拝読させて頂きました。そのように秤にかけてしまうお気持ちもわかります。そのように言われたり態度がそうであればそのように考えてしまうこともやむを得ないかと思います。あなたのお気持ちをお察しします。
とはいえそれはいいとこどりのないものねだりですよね。人間ですからいいとこどりしたいお気持ちもよくわかります。それでも仮に本当にお亡くなりになったならばあなた自身のお気持ちをすっきりと整理することができるでしょうか?
おそらくは何らかのしこりや心残りやあなた自身の心の中での罪が残ります。
それはあなたやあなたのご家族が本当に幸せになることができるでしょうか?
しょうがない、やむを得ないではやはり自分の心の奥底では納得できない自分がいるかと思います。
今すぐどうこうではありませんけれども自分も家族も共に本当に幸せに生きる道をじっくりとお考えなさってみてくださいね。
そんなに人生も人の心も簡単ではないですからね。