hasunohaで質問して良いのだろうか
禅友に送る書 「依存症」を読んで、ふと思いました。自分はここで質問し続けても良いのだろうかと。説法という名の薬を大量に飲み続ける(読み続ける)事自体が悪しき事ならば、自分はここを離れるべきだろうかとも思いました。
自分がどうするべきかもまともに決められない愚か者ですが、だからこそ教えてほしいのです。私はどうすれば良いのでしょうか。
考えすぎ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
中道
道元禅師はこう書いています。
「説法を聴くのが悪いことというのは、偏っていて間違った考え方です。よくよく知りなさい、一言を正しく学べば一法を正しく受け継いでいるのです。」
(仏教は正伝すべからずといふは学道の偏局なるべし。しるべし、一句を正伝すれば一法の正伝せらるるなり。)正法眼蔵・仏教巻
「仏教は自分の努力によって見出すものではありません。師に従い、経典に従って受け継ぐものです。」
(諸仏七仏より、仏々祖々の正伝するところ、すなはち自証三昧なり。いはゆる或従知識・或従経巻なり。)正法眼蔵・自証三昧巻
※知識とは頭の中の知識ではなく、仏教をよく受け継いでいる人(師匠、善知識)のこと。
他にも挙げればキリがありません。
ぶっちゃけその著者の論はよく有る、本当によく有る禅病です。道元禅師も全否定しています。
たしかに本だけ読んだり人の話を聞いたりしただけで分かった気になるのは間違いです。でも、だからと言って逆張りして本を読むことや話を聞くことを否定するのは厨二病です。仏教は中道です。両極端に走るのはどちらに転んでもセンスがありません。
そもそもな話、お坊さんではなくサラリーマンの著書であることにご注意ください。こういう人からカルト教団が生まれます。
では、あなたの場合はどうか?以前の回答で仏教は応病与薬です、それぞれの症状に応じた薬が必要ですと書きました(←これが中道)。
その答えは分かりません。なぜなら、あなたは我々の回答に一切返信なさらないからです。そのため我々の回答について、あなたがどう感じる人なのか分かりません。だからあなたの場合、離れるべきなのかどうか分からないのです。
もっとも返信は義務ではありません。返信なさらなくても結構です。でも、キャッチボールとしてのコミュニケーションは社会のどこに行っても肝心なことです。その意味で、まだまだあなたがここで学び、練習できることは有ると思いますよ。
習気
問問様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拝読して、すぐに思い浮かんだのが、「習気」(じっけ)という言葉であります。
仏法の中には、非常に理解が難しい内容もあります。そのため、途中で諦めたり、怠惰となったり、としてしまうことももちろんございます。
そこで、一つのエピソードを紹介しましょう。
あるチベット仏教の高僧が、日本において、無上瑜伽タントラに関することについてご講義をなさられた時に、通訳の方が、同じような内容の話が続いて、聴衆が飽きてきていることを感じ、「省いてとばしましょう」と提言されました。
しかし、その高僧は、「今彼らが興味をもって聴いているかいないかが大切ではない。彼らに習気を置くことが大切なのだ」として、そのまま続けられたというお話があります。
習気とは、例えば、良い香りの柔軟剤で衣服を洗えば、しばらくしてもその香りが残ってあるというように、心に仏法の香りを染み込ませて、残しておくというイメージとなります。
大切な仏法の話を、その場で即座に理解できることは少ないでしょう。しかし、その者の心に仏法の香りを僅かなりとも残しておければ、いつかやがて真に理解できる、いつか役に立つ時が来る、というように考えるところとなります。
私たちも、いつか大切な仏法を理解して頂けるようにと、できる限りにお答えをさせて頂いております。
どうぞ遠慮なさられずにお聴きなさられて下さいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
大忍貫道様
回答有難うございます。ここで読んだものを自分の中に落とし込むのが肝心なのですね。
大慈様
回答有難うございます。これからはなるべくお礼のコメントを書こうと思います。
川口英俊様
回答有難うございます。これからもそうさせていただきます。