心の整理について
初めて質問させていただきます。
私は3人兄妹の末っ子なのですが、中学の時に1番上の兄を交通事故で亡くしました。私はその事を未だに完全には受け入れられず、兄は亡くなったと自覚している反面何処かで生きているのではないかと信じてしまいます。その為学校の友人にも話していないので、友人はよく私に兄のことを尋ねてきます。「どんな人?」「背は大きい?」などです。数年前までは以前の兄を思い出しながら答えられていたのですが、最近では兄の身長すら思い出せません。兄の顔は写真で見る笑顔のみで、どんな表情をしていたのかも上手く覚えていません。
受け入れられないと言いながらも次第に忘れていってしまう私は薄情でしょうか。また、どうすれば死を受け入れることが出来るでしょうか。
拙い文章で申し訳ありません。
お坊さんからの回答 1件
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哀しみを超えて
かなえ 様 相談ありがとうございます。
そうですか、お兄さんを交通事故で・・・。
哀しく辛い体験ですね。
家族、愛する人、身近な人、を突然なくすというのは
やはり受け入れられない。受け入れたくない
信じられない、生きている気がする。
と思うのは、普通にあることです。
それによって、心の整理がつかないのも変ではありません。
また、時がたつと、哀しみはあるのに、記憶が薄れて、思い出せなくなることも
それは、薄情なことではなく、人間というものはそういうものだ!という事です。
では、どうすれば死が受け入れらるか?ですが、
これにマニュアルというものはありません。
人それぞれ、違います。ある人は2~3年たって、ある時散る花を見て
ようやく季節を感じるようになり、段々受け入れるようになってきた。とか、
他人の慰めを辛く感じて、人に合わなくなったけど、カウンセラーにとことん気持ちを聴いてもらう事で、受け入れられて、人に話せるようになった。などです。
一つの方法として、ひとりで抱え込まないで、受け入れられない辛さ、哀しさ、やるせなさ
切なさなどの感情を、カウンセラーや、セラピスト、(お坊さんを含む)に聴いてもらうのが
良いかと思います。
また、亡くなった時点の哀しみを思うだけでなく、お兄さんが生きてきた人生を沢山思い出してみて、それを家族で語り合う事だと思います。そしてお兄さんの記憶を共有し、哀しみの点でなく、人生の線としてとらえることで、哀しみを超えて、お兄さんの人生のメッセージを感じるということも一つの方法です。
他にも方法があると思いますが、受け入れられないという事にとらわれ過ぎないで、受け入れられない自分が居ていいんだ!ぐらいの気持ちで、過ごしてみてください。
お読みいただきありがとうございました。
参考までに。