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人の煩悩を

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有り難し有り難し 29

いつもありがとうございます。
ハスノハで相談するようなって、人間にはいくつもの煩悩があり、それが悩みや苦しみを生んでいた事を知りました。

自分が辛いとき、これは煩悩なのだと気付く事ができれば少し気持ちが楽になる気がします。

でも自分ではない相手の、悪の心?が煩悩のせいだとはなかなか思えなかったりします。
かといって相手を変える事はできないし、自分だけが相手の全てを受け入れるような事も難しい。

欲・怒り・怠け・プライドに慈しみの目を持つにはどうしたらいいのでしょうか?

2018年12月26日 20:19

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無理なものは無理

たいぴ-さんこんにちは
欲・怒り・怠け・プライドに慈しみの目を持つには
ということですが、それはよほどの人生経験を積まなければ無理ではないかな。
心がけだけでそれができるのなら、みんな今日から観音さまですわ(笑)

いい人になろうと自分がどんなに頑張っても、全ての人がそれを好意を持って見てはくれない。
何%かの人は、悪意を持ってあなたを見ている。
それさえも受け入れようとする心がけは尊いとは思いますが、私はそこまで自分を追い詰める必要は無いのではと思うのです。

たいぴ-さんが仰るとおり、人は変えられません。
どんなに頑張っても、合わない人とは会わない。
無理なものは無理だから、仕方ないなとあきらめてしまって、お互いに傷つかない距離を保つことも必要だと思います。

そうして心安らかに過ごしていれば、いつか全部を許せるようになるかもね^^

2018年12月26日 23:59
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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...

似たり寄ったり愚かな私達。仏様に頼るのもアリ

お釈迦様は、皆自分が一番かわいいのだからこそ、他人を傷つけてはいけないと説かれました。
他人の煩悩と自分の煩悩を重ね合わせて見てみれば、「私にも似たようなところがある。この人も私も同じなんだな」と思えるかもしれませんね。
煩悩に気付くよう心がけることは、素晴らしいことだと思います。
それは、自分の愚かさに気付き、懺悔(さんげ)することにもつながります。
自分も愚かなんだから、他人を怒れるほど偉くはないな、とか思ってみてはどうでしょうか。
慈悲の心は、怒っているときは現れないらしいです。
怒っている時間を減らすことが、慈悲が発動している時間を増やすことにつながるのではないでしょうか。
あとは、「この人(相手)を私は許せないけど、仏様はこの相手を許してくださる、だから大丈夫だ」と思って、
大慈悲という大仕事を独りで背負いこまず、仏様に委任する方法もあります。
むかつく相手だけれど、一応この相手のために「南無阿弥陀仏」を称(とな)えてあげようかな、この相手が阿弥陀様に救われるよう願ってあげようかな、とか。
あぁあー、みんな漏れなく救われたらいいのになーぁ、と。

2018年12月27日 12:48
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

林様
観音様のような心を持たない限り無理なのですね。私には難しそうです(^_^;)林様のおっしゃる通り、無理なものは無理、合わない人とは合わないのだと諦める気持ちを持つように心がけてみたいと思います。ありがとうございました。

願誉浄史様
人は皆自分が一番可愛いからこそ他人を傷付けてはならないというお言葉、すごく納得したのと共にそれでも人は人を傷付けてしまう弱さを持っているのだなと知りました。弱さだと思えば少しは相手を許すまではいかなくとも分かってあげられることができるのかもしれないと思いました。
それと「慈悲の心は、怒っているときは現れないらしい」は目から鱗でした!怒っている限り相手の気持ちなんて悪い方にしか考えられないし許せないと思ってしまっていたからです。
怒っている時間を減らす努力をしてみたいと思います。ありがとうございました。

「煩悩」問答一覧

煩悩について

お世話になっております。 浄土真宗では煩悩をどう捉えているのでしょうか。 煩悩を自覚することで慚愧し、内省するのですよね。具体的に、慚愧とはどういうことなのでしょうか? 例えばですが、僕も男(人間)ですから性欲というものはありますが、性に関する煩悩を自覚した時には性欲をどうするのですか?消そうと試みるのですか?(煩悩を否定的に捉える)まあ、いいやと開き直るのですか?(煩悩を肯定的に捉える)その辺がよく分かりません。 ちなみに、煩悩を消そうと試みる場合は、それはもはや「菩薩」という概念になってしまうように思います。 また、仏教においては分別心があればそれは煩悩ですよね。好き嫌い、善悪、優劣など。 しかし、そういうものに関しても慚愧するのでしょうか?僕達は人間ですよ。嫌いな人もいれば、好きな人もいます。そもそも、「好き」という感情が無ければ恋愛さえできないのではないですか。 僕はまだ学生ですが、将来仕事する時にも良し悪しを判断しなければいけない。もちろん、世間的(主観的)な善悪に過ぎませんが。でも生きていくためにはどうしても必要な判断ですよね。なので、人間の知恵も大切だと思うのですが...。 詳しい方、回答お願い致します。 南無阿弥陀仏

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執念との向き合い方

こんにちは。私は自分の執念深さに悩んでいます。 ある知人(知人Aにします)と交流してます。 その知人Aは私の事を馬鹿にしています。 というもの私は何をするにしてもうまくこなす事が出来ないので周りからも周知で馬鹿にされています。 一方知人Aは明るくて友達がたくさんで何でもうまくこなして自信に溢れているように見えますが、人の成功を喜んだり挑戦を応援できないので自己肯定感の低い人なんだろうなと私は勝手に認識しました。 私に対して今の言葉で言うとマウントに似た行為をよくされるのですが、これを言葉に出してしまうと倫理に反してしまうので黙って聞いていていつも自分の心が濁り怒りや悲しみ自己否定の沼に浸かっていました。 そして知人Aと会話をしていたある日、自身の嫉妬心やねたみで嫌な行動をしてしまい罪悪感を感じ後悔している事が過去にたくさんあると聞きました。 知人AはSNSをしています。 私は知りませんでしたが、別の方が私に知人AがSNSしているよと紹介してくれました。 見てみると私の印象が悪くなる嘘を何個か書いていました。 怒りが湧きました。そして私は知らないフリをしました。 とある日知人Aがマウントをとりながら曲がった事が嫌いだとか悪口が嫌いだと話し出しました。 じゃあ嘘ついた事ある?と私は犯意を持って試しました。 出来る事なら嘘はつきたくないと濁った返事をしました。 ふーんそうなんだと返しました。 私の心は確実に知人Aを侮蔑し馬鹿にしていました。 そして誰より私が一番ひどいマウントをしていました。 1人になった時に猛烈な自己嫌悪と罪悪感が湧きましたが、すぐに負の執念がやってきてそれを取り払い自分を正しました。 そして頭の隅に見えないようにして存在している『知人Aにも感情があり過去の行いで罪悪感で満たされている事実』を意識すると後悔するのですが、今までされて来た事を思い出すと怒りや悲しみが湧きまた執念で満たされます。 そして後悔と執念のループと思いきや私は執念ばかりです。 執念について理由を考えてみたら自分が一番自己肯定感が無く、自分を低くしてマウントを取ってるからと感情と向き合って出た答えでした。 相手も自分も大切にしたいです。 どうしたら執念を抑える事が出来るのか。 自分の行動の愚かさ、感情の醜さが苦しいです。 こんな自分にお言葉いただけたらと思います。

有り難し有り難し 15
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強すぎる独占欲、我が儘と向き合うには

はじめて相談させて頂きます。 現在「何もかもが自分の思い通りにならない不満感」そして「そんな自分に対する嫌悪感」に日々振り回されている状況です。 常に自分の世界に閉じこもる癖があり、他人に踏み込まれるのが嫌で仕方ありません。 誰かと楽しい時間を共有したり、趣味を通じて繋がるといったことが絶望的に下手で、他人と向き合うと必ず相手を消耗させてしまい、悪い結果に終わります。 自分の好きなものは独り占めしたいし、他人と好みが被ると不愉快な気持ちになります。 自分自身がコミュ障なだけでなく、他人が目の前で仲良く楽しげに振る舞っていると苛立ちを覚えます。 (私がこんなに嫌な気分なのに、何でお前達は笑ってるんだ!という感じです) 最近は他人の話し声そのものが不快になってきたので、聴覚過敏の傾向もあるのかもしれません。 幼少の頃から何度も指摘されてきましたが、私は非常に自己中心的な人間なのだと思います。 不満があるのに、それを表に出せずイライラしているので、いつも人に避けられてしまいます。 家族とも遠く離れて一人暮らしをしていますが、この状況はきっと今後も続くのだろうと思います。 時折「我が儘を通せる強い人」に憧れることがあります。 私と同様に自己中心的な性質であっても、パートナーや友人に恵まれていたり、社会で一定の役職についている人を見ると、この歳で何も得られていない自分にまた腹が立ちます。 すみません。何だか支離滅裂な文章になってしまいました。 物凄く生きづらい性格なのは承知していますが、それでも生きていかなければならず、自分の中でどう折り合いをつけたらいいのか分からないのです。 恋愛や結婚は諦めていますし、孤独死も覚悟の上ですが、せめてこれからの人生を心穏やかに過ごしていけたらと思います。 アドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
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煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

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