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人の煩悩を

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有り難し有り難し 29

いつもありがとうございます。
ハスノハで相談するようなって、人間にはいくつもの煩悩があり、それが悩みや苦しみを生んでいた事を知りました。

自分が辛いとき、これは煩悩なのだと気付く事ができれば少し気持ちが楽になる気がします。

でも自分ではない相手の、悪の心?が煩悩のせいだとはなかなか思えなかったりします。
かといって相手を変える事はできないし、自分だけが相手の全てを受け入れるような事も難しい。

欲・怒り・怠け・プライドに慈しみの目を持つにはどうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無理なものは無理

たいぴ-さんこんにちは
欲・怒り・怠け・プライドに慈しみの目を持つには
ということですが、それはよほどの人生経験を積まなければ無理ではないかな。
心がけだけでそれができるのなら、みんな今日から観音さまですわ(笑)

いい人になろうと自分がどんなに頑張っても、全ての人がそれを好意を持って見てはくれない。
何%かの人は、悪意を持ってあなたを見ている。
それさえも受け入れようとする心がけは尊いとは思いますが、私はそこまで自分を追い詰める必要は無いのではと思うのです。

たいぴ-さんが仰るとおり、人は変えられません。
どんなに頑張っても、合わない人とは会わない。
無理なものは無理だから、仕方ないなとあきらめてしまって、お互いに傷つかない距離を保つことも必要だと思います。

そうして心安らかに過ごしていれば、いつか全部を許せるようになるかもね^^

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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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似たり寄ったり愚かな私達。仏様に頼るのもアリ

お釈迦様は、皆自分が一番かわいいのだからこそ、他人を傷つけてはいけないと説かれました。
他人の煩悩と自分の煩悩を重ね合わせて見てみれば、「私にも似たようなところがある。この人も私も同じなんだな」と思えるかもしれませんね。
煩悩に気付くよう心がけることは、素晴らしいことだと思います。
それは、自分の愚かさに気付き、懺悔(さんげ)することにもつながります。
自分も愚かなんだから、他人を怒れるほど偉くはないな、とか思ってみてはどうでしょうか。
慈悲の心は、怒っているときは現れないらしいです。
怒っている時間を減らすことが、慈悲が発動している時間を増やすことにつながるのではないでしょうか。
あとは、「この人(相手)を私は許せないけど、仏様はこの相手を許してくださる、だから大丈夫だ」と思って、
大慈悲という大仕事を独りで背負いこまず、仏様に委任する方法もあります。
むかつく相手だけれど、一応この相手のために「南無阿弥陀仏」を称(とな)えてあげようかな、この相手が阿弥陀様に救われるよう願ってあげようかな、とか。
あぁあー、みんな漏れなく救われたらいいのになーぁ、と。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

林様
観音様のような心を持たない限り無理なのですね。私には難しそうです(^_^;)林様のおっしゃる通り、無理なものは無理、合わない人とは合わないのだと諦める気持ちを持つように心がけてみたいと思います。ありがとうございました。

願誉浄史様
人は皆自分が一番可愛いからこそ他人を傷付けてはならないというお言葉、すごく納得したのと共にそれでも人は人を傷付けてしまう弱さを持っているのだなと知りました。弱さだと思えば少しは相手を許すまではいかなくとも分かってあげられることができるのかもしれないと思いました。
それと「慈悲の心は、怒っているときは現れないらしい」は目から鱗でした!怒っている限り相手の気持ちなんて悪い方にしか考えられないし許せないと思ってしまっていたからです。
怒っている時間を減らす努力をしてみたいと思います。ありがとうございました。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ