火葬の意味
日本では葬儀のほぼ全てが火葬で行われていると聞きます。
その由来はお釈迦様に由来すると言われていますが、私はなんとも残酷だなと言う思いが抜けないのです。
火葬の意味と言いますか、なぜ人を火葬するという行為で見送る事になっているのでしょうか?
子供のような質問で大変申し訳ないのですがご教授いただけませんでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死者を火葬して、煙と共に天に送る
仏教における火葬の歴史はお釈迦様の御臨終に起源すると思います。インドの伝統的な葬法に則って、お釈迦様の御遺体を火葬しました。火葬することで、故人は煙と共に天上界に昇っていく、という信仰が根底にあるようです。
仏伝によると、薪を積みお釈迦様の御遺体をその上に乗せ点火しようとしました。ところが点火しようとしても火が点きません。そこに一番弟子の迦葉尊者が布教の旅から到着しました。迦葉尊者が松明を手に取り薪に点火して、ようやく火葬することができた。と言われております。これが仏教における葬儀の起源とも言われております。
インドのガンジス川西岸の歴史ある街ヴァーラーナシーは、ヒンドゥー教徒にとってもっとも神聖な場所とされています。インドでは、この地で火葬し、その遺骨と灰をガンジス川に流すことを、尊んでおります。屍衣に包まれた遺体がガンジス川に運ばれ、洗い清められて、マニカルニカ・ガートと呼ばれる火葬場で荼毘に付されます。火葬によって肉体から魂が解放されると信じられています。
『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は僧道昭であり、文武天皇4年(700年)のことです。天皇で最初に火葬されたのは持統天皇(702年)である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まったようです。源氏物語や徒然草に「鳥辺野の煙」という記述がありますように、平安時代の京には火葬場があり、火葬という葬送法自体既に一般的なものになっていました。決して「残酷」とは感じていなかったと思います。
地方の場合土葬が一般的な葬法でした。昭和30年代40年代までは土葬する地域はかなり多かったと思います。しかし、墓地のスペースという事情や行政主導による火葬の推進(衛生上の理由が大きいようです)の関係上土葬が難しくなり火葬のみになりました。
御遺体を処理する葬法に関して、日本人には火葬土葬が知られています。でも、世界を見渡せば、水葬、風葬、鳥葬という葬法もあります。これらの葬法を残酷と思う人も多いかもしれません。しかし、」我々の限られた経験と知識で一方的な価値観を押し付けることは好ましいことではありません。それぞれの地域の葬送儀礼はそれぞれの地域の風土や生活文化の中から生まれてきていることを、理解してください。
火葬って不思議なんですよね。
2時間前に炉前でワンワン泣きながらお別れをしていたお婆さんが、収骨室に入った瞬間、「まぁ〜、綺麗になったモンだわね!」とケロッとしていたりするものです。もちろん反応には個人差や一族差がありますが。
遺骨を目の当たりにすることには心理的な意味があるのでしょうね。先入観や知識で推し量らず、感覚にお任せして送り出しの儀式に望んで下さい。そうでないと先入観や知識で感性を潰し、儀式の効果が損なわれてしまいます。
先日、東北大学の実験で「お経を聴くと死別のストレスが軽減されることが確認とれた」というYahoo!ニュースもありましたしね。
きっと色んな思いが頭の中を駆け巡っていると思いますが、お別れは誰もが避けて通れない道です。こればっかりはどうしようもないありません。自然の摂理です。あまり考え過ぎず、流れに身を委ねましょう。なるべきようになるのですよ。
質問者からのお礼
洞林寺 吉田俊英 様。
丁寧に火葬に関する故事をお教えいただきありがとうございます。
日本においてだけでも千数百年の火葬に関する歴史が残っているのですね。
近親者にお別れの近い者が居ます。
日本の風土や生活習慣にならい、野辺の送りをしたいと思います。
ありがとうございました。
吉田俊英 様への回答に書きましたが、お別れの近い近親者というのは父です。
これまでも祖父母や叔父叔母の火葬には立ち会いましたが、父がと思うと胸が張り裂けそうなのです。
お別れは誰もが通る道、流れに身を任せるというのはまさにそれが自然の摂理に逆らわない方法なのかもしれません。
父の今際の際に臨み、様々な事を教えられている、そんな気がしています。
このhasunohaでご回答をくださる僧侶の方々を含め様々な方々とのご縁もいただきました。
これも父のこの世での最後の教えと肝に銘じ、自然体で父を送りたいと思います。
ありがとうございました。
上の投稿7行目からは大慈様への返信です
失礼をいたしました。