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梵字を習うことについて

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梵字を習うことに関して質問いたします。

先日ご縁があって児玉義隆師の著書「梵字入門」を手にする機会に恵まれました。それをきっかけに悉曇文字、サンスクリット語を学びたいと思っています。

しかしこのまま自ら書いて習ってよいものかと思い始めました。
私は在家で、在家である自分が梵字を書き、習うことは越法に当たるのではないかという疑問が湧いたのです。

実家の菩提寺などご縁があるお寺やお坊さんに聞いてみましたが、別宗門なので詳しくはわからないとのことでした。

また現在海外住まいのため、直接真言宗や真言律宗のお寺に伺うこともできず、こちらで質問いたしました。

大雑把に、梵字を書くことの在家への制限は越三昧耶罪にあり、その根拠は大日経疏にあると薄い知識ながら理解しているのですが、根拠となる原典を知る機会はありません。

しかし一方で、日本全国で僧侶の方による梵字教室が一般向けに開かれている現状もあり、僧籍を持たれる高野山大学の名誉教授が在家者に梵字の教本と自習を推奨されてもいます。

児玉師の教本には、お袈裟・衣をつけずに梵字を書いてはならないとの心構えの解説がありました。

これを僧侶の方への訓戒と受け取るべきなのか「在家には梵字を書くこと自体許されない」ととるべきなのか判断がつきません。ましてその解説が一般向けの教本に書かれているのですからますますわかりません。

そういったことで、在家でありながら悉曇文字あるいはサンスクリット語を学びまた書くことは功徳になるのか、密教の戒律に詳しい僧侶のかたにご意見を伺いたく思っております。

教条主義的になるのも良くないのでしょうが、独りよがりになることを避けたく、ご意見を賜りたくご連絡いたしました。

もし知識のあるかたから見て問題がなければ、日本に伝わっている素晴らしい文化ですし、悉曇文字を勉強したいと思っています。

僧侶の皆様、お忙しい中見ず知らずの者から長々と恐れ入ります。ご教授いただければ大変幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真言は不思議なり

拝読させていただきました。

様々な本も読誦されておられることから、慎重さが増してしまいますよね。

写経も作法がありますが、しかし寺院などでは遠方などからご奉納できない方々もたくさんおられますことから、郵送などを通じて多くの写経を募り、勧進しております。

悉曇文字なる梵字では、時は平安時代・弘法大師(空海)によって大半は日本へもたらされました。

お大師さん(空海)のお言葉の中には
「真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く 一字に千理を含み 即身そくしんに法如を證す」
と、記されております。

上記の通り、一字一字には仏様が宿っておられますことから、仏師と同じく一刀三礼の気持ちを持って筆を置いていただけましたら、大丈夫です。

私たち凡人にはわからないほどの功徳が宿っております。

最初に心を落ち着かせ、精神統一をしてから、筆をおく心構えで大丈夫です。

真言宗では「大日如来」であります「阿=ア」の梵字に集約されております。

アから始めていただき、アで終わるように始めてみてくださいませ。
不明な点などは、寺院のほうまでご連絡くださいませ。

合掌

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自身の智慧を深めるものと思うならば独習も亦可也

質問を拝読しました。質問者様が梵字に関心をお持ちであるのなら、とりあえずは独学で書写・学習しては如何かと思います。私も真言宗の系列大学の講座にて悉曇、サンスクリット語を少しばかり学びました。その場では厳格に威儀を正して受講はしておりませんでした。つまり基礎的なものならば「越三摩耶」に当たるか否かまでは思い悩む必要はないかと思います。悉曇の学習を機縁として、真言密教に対してより深き理解と信心を得ることができることを願っております。地道に独習していればいずれの時に悉曇の師に出会うことになるはずです。宗祖弘法大師様曰く、「賢者の説黙は時を待ち人を待つ」のです。
参考までにお知らせしますと、真言宗智山派東京別院において定期的にサンスクリット語講座が開かれており、僧俗問わず多くの方が受講されております。基礎から始まり、締めくくりとして密教経典の原典翻訳まで学習できるということです。合掌

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質問者からのお礼

法源師
あけましておめでとうございます。
年末年始のお忙しい中、瑣末で個人的な相談に大変丁寧に答えていただきありがとうございます。
海外に住み寺院や仏教文化から遠く生活することで、能動的に学びたいという気持ちが強くなったように思います。
引用されたお大師様の言葉とても暖かく励みになりました。のびのびとマイペースに学んでいきたく思います。
機会がありましたら今後ご教示いただければ幸いです。

寶川良隆師
あけましたおめでとうございます。
大晦日にお忙しい中の大変丁寧なお返事、ありがとうございます。
日本は仏教が伝統的にあって、離れてみてありがたさが身にしみます。
まずは自分なりに学んでみようと思います。独りよがりにならないように、帰国時には僧侶の方に教わる機会など探してみようと思います。
また質問をすることもあるかもしれませんが、機会がありましたら今後もご教示いただければ幸いです。

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お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

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