義母の介護をしていくなかで
はじめて質問させて頂きます。
在宅で認知のある義母と暮らしています。デイサービスなどには行っています。
99%私が主に介護をしています。(家族は手伝ってくれることもあります)
徘徊のおそれや、誤嚥、歩行、排泄などに気を配らなければなりません。
お盆やお正月に義弟家族が必ずきます。
でも自分の母親なのに、一切日頃の様子など聞くこともなく、認知であるために名前を言えなかったり間違えたりする母に対して笑って済ましています (私達はもう笑えません)
義弟の嫁など母と一言も話しません。ただ料理を食べて帰るだけです。
むなしくなります。なぜ認知の自分の母を笑えるのでしょうか?私達の苦労など微塵も思っていません。60才になってもまだ実家に来るものなのでしょうか?
同じ嫁なのに何も言わないやらない義弟の嫁にも腹が立ちます。お正月は嫌いです。あの家族が来るたびに怒りがわきまます。
もう少し私も落ち着いて諦めればいいのかもしれませんが、どうしても腹が立ちます。
そして義母や家族に当たってしまいます。
義弟家族の事をどう考えたらいいのでしょうか?義弟は自分の母というより、他の家お婆さんと考えているのでしょうか?
どう考えたら心穏やかに接したりできるのでしょうか?
今日も爆発してしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
義母さんは一番よくわかってくれていることでしょう。
明けましておめでとうございます。亀山純史と申します。
毎日の介護、お疲れ様ですね。私にも少しですが介護の経験がありますので、その大変さは多少はわかっているつもりです。
さて、どんなに認知症が進んでも、誰に一番お世話になったかはわかってくれている、と信じたいですね。常に介護をして、常に身近で接しているからこそ見えてくる人生の喜怒哀楽、それを義母さんと共有しながら生きていくことは大変尊いことですし、義母さんはあなたに感謝していることでしょう。
でも、無理は禁物です。ご家族の方や、それこそ、義弟家族に頼めることがあれば、遠慮なく頼めばいいのですが、難しいのでしょうか。もしも、「自分の介護の大変さを察してほしい。」という姿勢があなたにあったならば、たぶん、周りの人たちは動かないのでしょう。言葉に出して、お願いする。一回だけでは動いてくれなかったとしても、ことあるごとに、お願いできれば、そのうち、義弟家族も考えてくれるのではないでしょうか。
そしてまた、介護でのストレスがたまったならば、いつでもこのハスノハを活用していただければと思っています。
以上が私からの回答になります。みけさんにとって、今年もよい年になりますように祈念いたしております。
【お礼に対して】
新たなご相談が出てきたようですね。新たにご相談なさっていただければ、と思います。遠慮せずにご相談ください。
質問者からのお礼
早速のお答えありがとうございます。
義母には通じているとの事、少し救われました。
義弟家族に望むのは、言葉なんです。いつもありがとう、お世話かけます、などそんな言葉で私は救われます。でも常識ある大人ならそんなことは当たり前なのではないかと考えてしまいます。何度か娘たちもそれらしいことを義弟に言っているのですが…。
私が大変だと言うこを察して欲しいと思ってもなぜ回りの人はなぜ気づかないのでしょうか?私の態度を改めた方がいいのでしょうか?
お礼の投稿なのに、質問に発展してしまいました。すみません。
言わなくてもわかるでしょって言うのは
難しいんですね。自分もそう出来てるかと言われれば疑問です。
こう言うことを聞いてくれて、アドバイスをくれた親友を亡くして、わかってくれる人がいなくなってしまいました。
こちらでアドバイス頂く事をよりどころにして行きたいと思います。
ありがとうございました。