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悟りとは不可能なことなのでしょうか

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有り難し有り難し 19

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

2019年1月5日 20:09

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も知りたい。

私たちには分からないことばかりですね。
『不可思議』という言葉があるくらいです。
私たち以外の誰か超人的な人になら
分かるかもしれません。

どちらに転んだとしても

生きるときはただ生き
死ぬときはただ死ぬ

楽しむときはただ楽しみ
苦しいときはただ苦しむ

もしそんなふうに生きることができたら
疑問があるときもないときも
きっと悟りとともにあると分かるのではないでしょうか。

私だって悟れるかどうか分かりません。
でも愚かな私たちは、実は悟りの中を生きているのではなかろうか、
一方で悟りが、愚かな私たちの中を生きているのではなかろうか
そんな風に思うことがあります。

ちょうど波の中に水があり
水の中に波があるように。

波は波でしかいることはできませんでしょう。
私たちも私たち以外の何者になることもできないと思います。

こんな言葉があります。
『さとりよりさきに ちからとせず
はるかにこえてきたれるゆえに
さとりとは、ひとすじに
さとりのちからにのみ
たすけらる』

波自身が、自分が水であることを悟っても
波であることに変わりありませんが
もはや水になろうなどと考えることはしないでしょう。
波の力によって水になるのではなく
水の力によって波は波でいられるのです。

私たちも私たちの力で
悟るのではなく
悟りの力によって私たちがある
という意味ではないかと思います。

たとえ理解できなくとも
波として生き、同時に水として生きてもいる。
そのために波として何ができるかという実践を、仏教は強調しています。
そのときはじめて
今までのこと。愚かさ。生きる理由。執着のこと。

色んなことが違って見えてくるのではないでしょうか。
そう信じて前に進むしかない。
そんな風に思います。

2019年1月5日 23:41
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有り難し
おきもち

悟るための因縁(原因と条件)を調えれば

jy様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

悟ることは不可能ではありません。

悟るための因縁(原因と条件)をお説きになられましたのが、お釈迦様でございます。

ですので、しっかりとその因縁を調えるための仏道を歩めば、悟ることができるところとなります。

もちろん、容易な道ではありません。その最大の敵として、「倶生の諦執」という「無明」(根本的な無知)が強烈にあるからであります。

そのため、煩悩が生じてしまい、悪い行いによる悪業によりて、迷い苦しみの輪廻を繰り返してしまうのであります。

悟りの妨げとなってしまっている「煩悩障」と「所知障」を、仏道による確かなる「智慧」と「福徳」(功徳)の二つの力によって断滅させることができていければ、もちろん、今生でも悟る(即身成仏)ことは可能となります。

とにかく一日一日、一歩一歩、諦めずに仏道を前へと努め進めて参りたいものとなります。

頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

2019年1月6日 15:44
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

吉井浩文様 ご回答ありがとうございます。生きていることについてあまりに分からない事ばかりで、答えもヒントもない人生を理不尽と感じていましたが、皆がその様な状態なのだと思うと、一滴の水が海の一部であるように、皆が合わせて一つの生命であるような気がしました。

川口 英俊様 ご回答ありがとうございます。因縁を調える事が悟りには必要なのですね。大変難しそうな気がします。ともあれ、一歩一歩悟りに近づく様に進むことが大事ですね。ありがとうございます。

「悟りとは」問答一覧

悟りが得られないです

執着も捨てましたし、友人も恋人も物も殆ど捨てました。 生きていて色んなことを学んでもこちらで質問しても納得する回答は得られず日々悶々としています。 まず命への執着を手放す以外に残るものは今ありません。 しかし苦しみは消えません。 嫌な毎日です、それすら執着を手放しても苦しいままです。 1秒を我慢し続ければ耐えられると此方のサイトで言われましたが耐え続ける人生に何の安寧があるのでしょうか。 嫌な事も受け入れて、執着を捨て、全てを捨てて、あとは自分で死ぬだけです。 その死なない間にも嫌な事が沢山あります。 こんなに受け入れて、何も動じず、ただあるがままの苦しみを受け入れてるのにまだ苦しいです。もはや悟りなんてないのでは??? 例えるなら親を目の前で殺されて、まっいっかというレベルで執着を捨てていても苦しいままです。 誰か助けてほしいです。 悟りなんてないんじゃない? 私は科学ガチ勢だけど、死んだら解脱とかも無理じゃない? ただただ生まれつき運が悪いか、良いかの違いなんじゃない。 知的な障がいが脳にあればそもそも解脱する事は不可能です、それと同じで生まれつきの知能が低ければ高度な思考すらできません。 世の中運が良ければこの世界に満足して死ぬわけです。 つまり解脱も悟りもなくて、この世界で運が悪かった人が負け惜しみでそういう概念を思いついただけじゃね? ああ人生って意味不明すぎる。 このまま色んな人に説教されるか、曖昧な表現で反論されてこのまま人生続いていくんだろうな。。そしてその曖昧な表現の人たちもそのまま何の答えも得られず死んでいくんだろうな。

有り難し有り難し 45
回答数回答 4

この世に悟りなんてないのでは?

執着を捨てる事を前の質問で教わりました。 しかし、おそらくですがどんな人間もDNAレベルで執着を植え付けられていて仮に信じられないレベルのお坊さんが執着を捨てまくって生きてたとしてそれこそもはやお坊さんではなく飯もほとんど食べないホームレスかなんかではないでしょうか。 私は執着を捨てることで悟りを得るというのは懐疑的なのです。 まず考え方や解釈を変えても、火傷した皮膚に塩を塗られたら痛いし、知らない通り魔に家族全員殺されて解釈次第なんて思えないのです。 毎日の日々がここまで現在進行形で苦しくて色んなものを手放してて執着をなくしてるのに毎日皮膚に塩を塗られて幸福になれないし苦痛だ。 しかも、周りの人間は執着しまくって生まれつき色々なものを手に入れる。 ここまで地獄を見せられ全ての欲を減らして、普通に耐えられなくね? 次にこういう事を考えると坊さんに説法を色々教わりますが、それってつまり説法の理解する知性がないと一生悟ることはないのでは? 頭が悪く生まれて→間違いを犯して→説法されます。→また間違いをおかします。 つまり生まれつき(遺伝子的に)賢い人しか悟れない? また説法を知りまくったお坊さんこそが正しい生き方なのでしょうか? 仮に欲まみれのお坊さんがいたらそれが正解なの? やっぱり最近思うのは、この世に悟りなんて無くて苦しみは生まれつき分配される量が違って、執着を捨てる方法がなくただただ苦しみしかない世界ではないのでしょうか? おそらく、まともに悟りを目指して色々仏教勉強したり執着捨てるより、何も考えずに欲に執着して生きる美少女の方が幸福だろうしビルゲイツの息子に生まれるほうが幸福で不幸がないのではないか。 ここでの私の議題は、悟りはなく苦しみの量は生まれつき決まってるのではないか。 解脱こそがゴールならばそれこそこの世界からの抹消であり、抹消したくない者からしたら悟りなんてないのでは。 楽しく生きるならば、虐待されて死んだ子供はどう楽しく生きるのだろうか。 仮に人間界に生まれるのが解脱のチャンスならば、私が死んで輪廻を繰り返してその時に人間が絶滅してたら? 宇宙が生間ガスの関係で崩壊してたら? CERNのミニブラックホールで崩壊してたら? 悟りなんてないんじゃね? あるなら今すぐ誰でも幸福になれるはずだ。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 66
回答数回答 6

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