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悟りとは不可能なことなのでしょうか

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有り難し有り難し 19

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も知りたい。

私たちには分からないことばかりですね。
『不可思議』という言葉があるくらいです。
私たち以外の誰か超人的な人になら
分かるかもしれません。

どちらに転んだとしても

生きるときはただ生き
死ぬときはただ死ぬ

楽しむときはただ楽しみ
苦しいときはただ苦しむ

もしそんなふうに生きることができたら
疑問があるときもないときも
きっと悟りとともにあると分かるのではないでしょうか。

私だって悟れるかどうか分かりません。
でも愚かな私たちは、実は悟りの中を生きているのではなかろうか、
一方で悟りが、愚かな私たちの中を生きているのではなかろうか
そんな風に思うことがあります。

ちょうど波の中に水があり
水の中に波があるように。

波は波でしかいることはできませんでしょう。
私たちも私たち以外の何者になることもできないと思います。

こんな言葉があります。
『さとりよりさきに ちからとせず
はるかにこえてきたれるゆえに
さとりとは、ひとすじに
さとりのちからにのみ
たすけらる』

波自身が、自分が水であることを悟っても
波であることに変わりありませんが
もはや水になろうなどと考えることはしないでしょう。
波の力によって水になるのではなく
水の力によって波は波でいられるのです。

私たちも私たちの力で
悟るのではなく
悟りの力によって私たちがある
という意味ではないかと思います。

たとえ理解できなくとも
波として生き、同時に水として生きてもいる。
そのために波として何ができるかという実践を、仏教は強調しています。
そのときはじめて
今までのこと。愚かさ。生きる理由。執着のこと。

色んなことが違って見えてくるのではないでしょうか。
そう信じて前に進むしかない。
そんな風に思います。

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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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悟るための因縁(原因と条件)を調えれば

jy様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

悟ることは不可能ではありません。

悟るための因縁(原因と条件)をお説きになられましたのが、お釈迦様でございます。

ですので、しっかりとその因縁を調えるための仏道を歩めば、悟ることができるところとなります。

もちろん、容易な道ではありません。その最大の敵として、「倶生の諦執」という「無明」(根本的な無知)が強烈にあるからであります。

そのため、煩悩が生じてしまい、悪い行いによる悪業によりて、迷い苦しみの輪廻を繰り返してしまうのであります。

悟りの妨げとなってしまっている「煩悩障」と「所知障」を、仏道による確かなる「智慧」と「福徳」(功徳)の二つの力によって断滅させることができていければ、もちろん、今生でも悟る(即身成仏)ことは可能となります。

とにかく一日一日、一歩一歩、諦めずに仏道を前へと努め進めて参りたいものとなります。

頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

吉井浩文様 ご回答ありがとうございます。生きていることについてあまりに分からない事ばかりで、答えもヒントもない人生を理不尽と感じていましたが、皆がその様な状態なのだと思うと、一滴の水が海の一部であるように、皆が合わせて一つの生命であるような気がしました。

川口 英俊様 ご回答ありがとうございます。因縁を調える事が悟りには必要なのですね。大変難しそうな気がします。ともあれ、一歩一歩悟りに近づく様に進むことが大事ですね。ありがとうございます。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

有り難し有り難し 20
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ