生きることに疲れました。
生きることに疲れました。
自分に嘘をついて生きるのも、副作用が多い薬を飲んで生き長らえるのも、父の冗談を真に受けてしまうのも、兄の嫌がらせから泣きながら逃げるのも。
なんで僕ばかり不幸何ですか。
でも苦しいのは痛いのは嫌。死にたくない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩みは心が作りだす
今、この一瞬は、そんなに苦しい一瞬でしょうか?
たえられないほどの苦しみが、この3秒間にあったでしょうか?
心が過去や未來について悩むとき、苦しみが大きくなるのです。
今、この一瞬だけを見れば、それほど苦しくはないのです。
もし、あなたが他の人より不幸だとしたら、あなたと他の人の違いの一つは、あなたが心であれこれ考えすぎる点ではないでしょうか。
死にたくない。
その気持ち聞かせてくれてありがとうございます。
その声がある限り、hasunohaはスープーさんの味方でいることができます。
娑婆を頼るな弥陀頼め。
師匠の言葉ですが、娑婆はあまりあてになりません。
疲れた時は、ここで休んでください。
ここは人に振り回されなくていい場所ですよ。
その上で、、次の質問にお答えしますね。
ポイントがあったはず
スープーさん、こんにちは。お疲れ様です。まずは、ご自身が疲れていることに気づかれたこと、良かったですね。自分の発しているシグナルを自分で気づかないとか無視しちゃう人って、結構いるらしいですよ。
何かとお忙しいですか?ゆっくり考えを巡らす時間は取れますか?ご質問からは、ご家族との関わりの中に煩わしさを感じているようですが、その受け取りは合っていますか?
ご自身やご家族で病気の方はいらっしゃいますか?離れて暮らしている方は?ご両親の仲はいかがですか?
…そして、あなたの疲れは、身体のどの辺りで感じていますか?重くなったり、痛みを感じている所はありませんか?
出発点は、「いま・あなた」です。そこから始めるしかありません。
身体の中で、重いところや痛む所があれば、手当て=文字通り、手を当てて下さい。そして、自分の手の温かさを、痛む所で感じてあげてください。私はお腹が弱いので、痛むときにはよく手を当てます。温めると納まることが多いです。
なぜお腹が痛んだのか? 多分冷えた牛乳を一気に飲んだからでしょう(例えば)。では「今からどうするか?」 今から「飲まなかったことにする」事はできませんよね。でも原因が分かると、少し楽になります。対応もはっきりします(筋肉痛ではなかった=例えば)。そんな事を、あなたの「疲れ」についても探ってみませんか?
なるべく幼い頃の思い出で、今現在と似ている思いや、非常に印象的に辛かったこと、ありませんか?その経験が余りに辛くて、自分の生き方を変えてしまったことはありませんか?アナタがポリシーにしているポイントの裏に、辛い思い出があったのではありませんか?一旦は他人の所為(せい)にしても良いですよ。でも経験しなかった、無かったことにはできません。
ではどういう対処をするか?それは、アナタが見いだすことです。あれこれ当てずっぽうを言い、お手伝いすることはできますが、あなた自身が探ることで、アナタに力がつきますよ。そして、アナタはその種子を持っています。育てるかはあなた次第。
もし思い当たりがあれば、ぜひまた書いてみてください。このhasunohaは基本形が一問一答ですので、お一人で30位の問答を重ねている方もいらっしゃいます。その過程で深まっていくものも多いです。どうぞ「いま・あなた」を観ることから始めてみてください。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。