同居、些細なことが気になってしまう
些細なことだと思うのに、納得がいかず一緒に生活することが苦痛に感じてしまいます。
主人の両親と完全同居しています。
台所は一つで姑と交代で食事をつくったりしながら一緒の食事をとっています。
少し前に私実家よりたくさんいただいたからと焼き芋が美味しいと有名な品種のさつまいもをお裾分けでいただきました。数は8個ほどです。
姑とは食材は互いに買ってきて使いたいものは確認して使うという取り決めをしているので、使っていいという意味合いも込めて、いただきものをしたら姑にも伝えています。
そしたらその後、姑が家庭菜園でさつまいもがコンテナいっぱいにあるから、私の友人にお裾分けしてきたら?と言ってきました。
てっきり姑のさつまいもを、かと思いましたがよくよく話を聞いたら私実家からのお裾分けをお裾分けしてきたら?とのこと。数も多くないですし、きっと全部でしょう。
私も食べたいのになんで勝手に決めるの?ともやもやしてしまいます。姑にって渡されたわけじゃないのに、私実家から貰ったものを食べようともしないの?など不満がでてきます。
私も食べたいこと、姑のさつまいもをお裾分けするのかと思っていたと伝えましたが、答えは実家からのさつまいもを数個残してお裾分けに足りない分を姑さつまいもで補おうというもので。
もとより姑は大量買いして物を溜め込み、駄目にする才能があるのでは?と思うほど食材をダメにします。溶けかけた野菜などをできるだけ食べれるようにいいとこ取りしたり、料理の献立を考えたり協力しているつもりなのに、実家から貰った美味しいさつまいもを食べずに、なんで姑が作ったさつまいもを悪くなってまで食べなきゃいけないの?悪くなるまでに食べきれないならそっちをお裾分けすべきなんじゃ?ともやもやいらいら。
きっと姑のさつまいもを調理する度に思い出していらいらするんだろうな、と。
お裾分けには実家からのさつまいものほうが美味しいからいいだろうという姑の考えもわからなくはありません。それでも、実母の気持ちを軽んじられているようで納得がいきません。
些細なことだとはわかっているのですが、姑と付き合いたくないとまで思ってしまいます。どうすれば気持ちを落ち着けることができるでしょうか?
長文失礼しました。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今後の付き合い方を想像してみると良いですよ。
質問読ませていただきました。
義両親との同居、色々と良い部分もあれば、難しい部分もあるものです。
相手に悪気がなくても、カチンと来ることももちろんあるでしょう。
さて、うりぼーさんのお母様からいただいたお芋、せっかくいただいたのですからその気持ちを酌んで大切に食べて欲しいですよね!
ただ、姑は何の悪気もないのです。ただ、「芋がたくさんあるから食べきれなくて腐るから、それなら誰かにあげた方がいい」、それくらいの気持ちなのでしょう。それを「お母さんを蔑ろにしている」と考えるかどうかは、うりぼーさんの考え方次第です。
ただ、姑はうりぼーさんのお母さんを蔑ろにする気持ちは一切なく、うりぼーさん自身がそう考えてしまっているに過ぎないということは、事実として理解して下さい!
また、逆の場合もあるのです。つまり、うりぼーさんが悪気なしにした言動が、姑の癇に障るということもあります。そんな時は、姑もうりぼーさんに何か言う場合もあるかもしれませんが、我慢することもあるでしょう。
結局のところ一緒に生活する以上は、お互い様の部分があるのです。
どうしても我慢できない部分は、お互いの気持ちを上手にぶつけあって理解し合うことも必要でしょうが、自分が我慢した方が良いと思う部分は上手に受け流せるようにして下さいね。
お互い様の精神と、相手にも良い部分はあるんだから今後も良い関係を築いていきたいという思いやりの精神が大切ですよ!
何か少しでも参考にしてみて下さいね!
質問者からのお礼
お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
自分自身の気持ちの捉え方を考えてみようと思い、回答をいただいてから自分を見つめ直すことができました。
回答していただき、ありがとうございました。