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適切なアドバイスが出来ない

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初めて質問させて頂きます。

私はどういう訳か、異性からよく恋愛相談を受けることがあります。しかし恥ずかしながら私自身恋愛経験は人並み以下で、適切なアドバイスが出来ません。出来たとしても、本やテレビで見聞きした上辺だけの言葉で納得してもらってます。

やはり、そういった相談は相手より経験を積んでこそ受けられるものなのでしょうか。
どういった心構えで相談を受ければ、適切なアドバイスができますか。
このサイトに出会い、お坊さんの心を動かされる回答にとても感動しました。

不恰好な文章になってしまいましたが、ご回答をお待ちしております。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

質問の種類によりますが…

たいていの場合は答えが欲しいのではなく、誰かに話を聴いて欲しいだけですよ。話しながら自分で自分の心の整理をしているのです。だから今まで通りで上手くいっているなら、今まで通りで良いのではないでしょうか?

ところでお坊さんと比べちゃいけませんよ、お坊さんはズルいですから(笑)お坊さんは1人の人間の限界を突き抜け、お釈迦さまから2500年間の先輩方の信頼の結晶である『お坊さん』という存在として見ていただけます。「お釈迦さまは本当は100歳まで生きるはずだったけど、あえて80歳までしか生きず、残りの20年を後世の弟子に振り分けて下さったから、お釈迦さまの20年分まで信頼してもらえるのだ。」そんな非科学的な伝承があるのですけど、それを信じたくなってしまうほどお坊さんは恵まれているんです。だから比べちゃダメです。

経験はあればあるほど言葉に重みが出ます。でも、相談を受けるということも1つ1つ人生経験ということをお忘れなきよう。
そしてただ経験を積むだけなら誰でも何かしらやっていないわけはないのですが、それでも差がつくのは感性の違いです。まず、経験にアンテナを反応させられるかどうか。そしてその経験をどういう方向性で解釈し、次への教訓とするか。それは感性次第です。

私もhasunohaの読者の1人としてお気に入りのお坊さん(複数)のご回答を読みながらホンワカしています。感性は夜露が袖を湿らせるように自然と感化されるものですから、善い感性の人のご回答に触れると心の芯まで温まりますよね。有り難いことです。きっと玉子さまもそういう所で頼られているのだと思いますよ?

最後に、感性を磨きたいなら宗教感を磨くことです。変に信教信教したものではなく、心の有り様としての宗教感です。お坊さん達は自分の考えを回答していませんよ。2500年間磨かれた仏教を説いているだけですから。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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基本と応用

以前、このhasunohaで似たような質問があったと思って、探してみました。
http://hasunoha.jp/questions/2354

 周りの子達は、恐らくあなたを信頼してくれているのでしょう。それはなかなか得がたい資質です。そして異性であるということは、必ず異質な存在ですから、彼女たちの話を受け止め(聞き届け)られることは、あなたの人生をきっと豊かにしてくれます。
 さて、恋愛相談ということですが、むろん経験豊富な方がいいに決まっています。しかし、全てのケースについて経験できないのも、また簡単に分かることです。
 お勧めは小説です。あなたの年代向けであれば、基本テーマは「大人への変化」であって、大抵は家族や異性と葛藤、つまり自分と世代なり性別の違う人と関わることで変わっていくというものです。「そんなケースもあるんだ」ということを、沢山読んでみたらどうでしょうか。
 また、ダイジェスト的に『地図を読めない女・話を聞かない男』などの、いわゆる「男女の違い」本はいかが?お互いの常識というか、立っている所の違いに気づかせてくれる本です。こういう知識は、先導として持っていると「ああ、これは見たことがあるぞ」と、基本の枠組みになってくれます。
 ただし、ここには落とし穴があります。「知っている話に当てはめたくなる」ことです。まるで数学みたい。でも現実は複雑です。二つの公式にまたがっていることもあります。その辺は、数を重ねて失敗を繰り返す中で勘が磨かれてきます。「間違っていたらごめんね、すぐに言ってね」を前に付けることで、これはプラスになります。
 で仏教の面白いところは、「公式はたくさんあるよ。かつお互いに矛盾していることもある。だから色々知る中で、自分にとってぴったり来る物を選べば良いよ」と言っているところです。多分、他の宗教とひと味違うところです。
 あと相談というかコミュニケーションにおいて大事なのは、「自らの言葉を磨く」ということです。言葉ってかなり曖昧なまま流通します。つまり誤解の宝庫。その辺りを丹念に、慎重に聞いてあげられることで、勘違いは減らせます。「違うの、こういう事なの」というセリフが出たら、一歩近づいた証拠。「それヤバイね〜」と言っているだけで相手が安心する(そういうことも往々にしてあるのですが)としたら、ただの痰壺です。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

とてもとても有り難いご回答、ありがとうございます...!
相談を受けることって、信頼されてると言う意味でも、いい経験になるという意味でも、大切な事なのですね。これからの道しるべにさせて頂きます!

お忙しい中、ありがとうございました!

「コミュニケーションの悩み」問答一覧

伝えるのが真心か、伝えないのが賢さか

怪我をしてしまい、治療院へ約2ヶ月ほど前からお世話になりました。 その院は門前の仲見世通りにあり、初夏に新しくできたばかりでした。 怪我した当初は、適切な処置で仕事を休むことなく大変良かったのですが… 一向に治療が終わる気配もなく、次、また次の予約で、施術や接遇マナーについても少々気になる点はありました。 例えば、相手に接している間に業務連絡や他の患者さんの所へ行くなど、その場を離れる時は必ず手を離す前にひと声かける、一連の動作の中で、なでる、トントンとたたくなど、患者の心身の緊張を緩めるための手の置き方があるのですが、元々痛めた部分を拳で普通に叩いて響いたり、単純に重くのしかかるだけの雑に感じられる置き方、などの違和感です。 治療学を学びに学会へ参加したり、手技を生業としていた自分の中で経験者として備わった常識との隔たりに、日に日に不信が膨らみました。 ある日、施術中に「今度、ハロウィンの仮装をするんです」と他の患者さんへ話す声が耳に入りました。 怪我直後は応急処置に助けられた反面、ずっと長々通ううちに質が薄れていき、施術や接遇マナーに疑問が生じていた矢先でしたので ハロウィンの仮装をした治療家に、お預けするのは気が進まず、理由は伏せて「卒業」を告げてきました。 大変残念そうな感じでしたが、寺院や大きな神社のある門前町の仲見世に院を構え「地域の人々に貢献する」という建前と、施術の質が伴わないこと、治療行為と仮装(仕事と遊びをごちゃまぜにする)が受け入れ難かったこと 真心が手から伝わらなかったこと それらを伝えずに去ったこと、それで良かったのか、時々心に浮かびます。 年代は20代前半の方ばかりで、患者さんを集める能力や、予約に繋げるノウハウがあることはわかります。 ただ、肝心の施術の質が…(あくまで私の感覚ですが) 繁忙してくると何か大切なものを忘れてしまう…、応答もマニュアルがあることが察せられますし、一生懸命なのはわかりますが 驕れる者は久しからずに思えてなりません。 (クリスマスケーキを売るために、商売人がサンタの格好をするのはわかるのです) プロフィールにも書いた通り、志もあるので、今回のことは学びに繋げたいと思います。 下手にクレーマーになるよりは、それで賢明な選択だった、大人になった、そうけじめをつけたいです。

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師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる

お世話になっております。 自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。 私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。 私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。 そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。 私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。

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せっかちな老人

私の仕事場の老人ホームに、認知症ではあるのですが、食事やトイレ、歩行も自分でできる方です。女性です。先日業者による床清掃があり、その方にもちゃんと説明をして、3時まで終わらない事も伝え、それまでは別のフロアーに移る事も伝え、本人もわかったと返事をくださり、一緒にフロアーを移りました。すると1分もしないうちに、まだですか?と尋ねてくるので、同じ事を説明し、待ってもらいましたが、また、まだですか?と尋ねてこられ、今度は少し休みたいと言うので、自分の部屋ではないけれど、誰も使っていない部屋を用意したのですが、自分の部屋じゃないと騒ぎだし、落ち着かなくなったので、1人の職員が老人と一緒にその場を離れ、違う場所に歌ってもらい、そこでもまだですか?横になりたいと、騒ぎだし、職員も手におえないほどになってしまい、1時間早く床掃除も終わり、老人を自分のフロアーにもどし、お茶とおやつを食べていただき、なんとか落ち着いてもらいました。そこへ、私があまりにも1人で騒いでいたのを知っていたので、老人にどうして、静かに待ってもらえなかったのですか?みんな静かに待っていたんですよ、と伝えると、じゃ私が悪かったのねと言うので、思わずうんと言ってしまいました。すると、わかったよと大声を出し私に手を出してきたのです。あなたが1人で騒いだ事によって、1人の職員が、休憩も入らず、ずっと一緒にいてくれたんですよと伝えあまりわがまま言わないで下さいと伝えると、私がわがままなの?と言い、そうだよともつたえました。みんなと一緒に静かに待っていてくれればこんな事にならなかった事も伝え、迷惑をかけた職員に操ってきました。なので、ちゃんと謝ってくれて、ありがとうねと言葉をかけると、あんたはあっちいっててといわれ、私の事をすごい目でにらんでくるのです。その老人はこっちからの話しを理解できない人ではないし、せっかちな所、わがままを言っている事に気がついてほしかったし、少しでもいいので、そういう所を治してほしかったので、ちょっときつめに言ってしまいました。普段は職員に甘えてくるし、他人には嫉妬してくるし、自分の言った事をすぐにやってほしい人なので、なんでもハイハイと聞いてしまった所もあるので、ちょっと甘やかしてしまった所もあり、自分のわがままを全部聞いてもらえると思ってしまったようでせっかち待てないわがまま対処対策願います

有り難し有り難し 25
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ