本音が言えない
現在美大3年の者です。うつ病になり約1年休学をしています。
うつ病になった理由は簡単に言うと学びたいことと大学でやる内容が少し違っておりついていけなくなってしまったからです。
親に迷惑だけはかけたくないと、うつ病と診断されてからもなかなか言えなかったのですが、どうしようもなくなって伝えたところ「今はとりあえず休もうか」と言ってもらえて休学に至りました。
今の私の気持ちとしてはもう大学には戻りたくありません。また戻っても今度は上手くいくと到底思えないのです。
しかしこのままやめたところで将来はお先真っ暗。私のわがままで大学に行かせてもらい、授業料も払ってくれていたのに、迷惑だけはかけたくないと思っていたのに一番迷惑をかける選択肢を選んでいいのか…と悩んでいます。
行っても地獄、辞めても地獄で前にも後ろにも進めなくなってしまいました。
こんなに迷惑をかけるならいっそ死んだ方がいいのではとずっと考えてしまいます。
昨日の夜、母親に、大学から今後について連絡があったと言われました。(休学の期限が近い)
普段は私に気を使ってか、大学の話には全く触れません。
「どうしても無理ならやめたって構わないけど、それとももう一回行ってみる…?」と言われて、もうこれ以上頑張れない気持ちと迷惑をかけたくない気持ちがぐちゃぐちゃになって何も言えませんでした。
そしたら、母親は何も言わず、先に寝てしまいました。何も言えなかった私が悪いのはわかってます。でも、私がこんなに悩んでいるのに全然興味がないと言われたようで絶望した気分になりました。泣けるだけ泣いて、今、やっぱりもう死んだ方がいいのかもと思いながら書き込んでいます。これ以上迷惑をかけるだけの私に生きる価値を見出すことが全くできません。
恐らく、辞めたいと言ったら辞めさせてくれると思います。色んなサイトを見て、今後のことは後で考えてもいいのかなと思えてきましたが、どうしても「辞めたい」の一言が言えないのです。今までの全てが崩壊してしまいそうで怖いのです。
上手くまとめられず支離滅裂な文章になってしまいました。
辞めたいと思っていることや死にたいと思っていること、どうやって、どこまで伝えればいいんでしょうか。人と上手く会話する方法はあるのでしょうか。私はどうすべきなんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
目的は何だったのかを思い出して下さい。
質問読ませていただきました。
大学にはいったものの、やりたいことと違ったというのはたまに聞きます。
そこで思い出して欲しいのは、何故大学に行きたかったかです。
ナナさんはやりたいことが明確にあったからこそ、無理を言って大学に行かしてもらい、そしてやりたいことと違うから悩んだ末に休学されているんですよね。一番大切にしなければならないのは、そのナナさんが「なにをやりたいか?」という気持ちです。そこを蔑ろにしてしまっては、先が見えずに迷ってしまいます。
お母さんは興味がないのではありません。ナナさんの夢を応援してくれようとしたからこそ、大学も行かせてくれたのでしょう。なぜなら、子供が夢を叶えて幸せに過ごすことは、親の喜びでもあるからです。
しかし、今はナナさんが何を考えているかわからないのでしょう。大学を休学してどうしたいのか?夢を諦めてしまうのか?それとも他に何かを考えてるのか?何もわからないから、何も言えないのです。
ですので、ナナさんがきっちりやらなければならないことは、この先どうしたいかを考えることです。
大学を無理にでも卒業するのか?
それとも大学を辞めて他の道をすすむのか?
それとも大学を辞めて、もう一度本当に自分のやりたいことを頑張るために親に頭を下げて大学に行かせてもらうのか?
親に申し訳ない・・・という気持ちは痛いほど分かります。しかし、親に申し訳ないから自分の人生をダメにしてしまうのであれば、誰も喜びません。自分は一生苦しむでしょう。親も本当に悲しむでしょう。
ですから、きっちり自分がこれからどうしたいかを考え、結論を出して下さい。
そして、しっかりと親に謝ってから、それをちゃんと親に話して下さい。
もし他の大学に行きたいなら、これでもかというくらいその大学のことを事前に調べ、「本当に私がやりたいことを教えてくれる大学はここなんだ。」ということを親に伝えてみて下さい。金銭面のことに関しては、大学に通いながら頑張ってバイトをする、奨学金制度を利用する、そういったことも考えた上で親と相談すると現実味を増すでしょう。
何にせよ、自分が本当にしたかったこと、目的は何だったのかを忘れず、そのために今何をしなければならないかをしっかり思い描いて下さい。他のことは、考え方次第でなんとかなりますよ!
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
『放てば手に満てり(手を開いてみるとどうなるか)』。
『もうこれ以上頑張れない気持ちと迷惑をかけたくない気持ちがぐちゃぐちゃになって何も言えませんでした。』
続けることも勇気が要りますが
辞めるのも勇気が要るものです。
どうしても気持ちがぐちゃぐちゃしてしまいますよね。
むしろ今とても真剣にご自分に向き合ってらっしゃるのだろうな、と
文面からひしひしと伝わってきます。
戦っているのだな、と。
何かにおいて
つまづいてしまったとき
立ち止まってしまったときは、たいてい
これ以上周りに迷惑をかけたくない、という気持ちがどうしても強くなるものです。
それが最後の自分の砦(とりで)だからです。
「こんなことでどうする、自分」
と自らを責めるほかなくなってしまうのです。
ナナさんはその気持ちを握りしめたままです。
力いっぱい両手に握りこぶしをつくって
放すものか、と。
その両手をそっとひらいてみてください。
新しいものを掴めるような気がしませんか?
お母さまは興味がないのではありません。
ナナさんが「開く」のを待っているのです。
心から。
新しいもの、助けてほしいこと。
自らの手でいつでも何度でもどこへでも
好きなだけ掴みに行っていいんですよ。
しかし握ったこぶしを開かなければつかめません。
当たり前ですよね。
大学というのは、
手を開いて自由に好きなところへ探検に出かけるナナさんの背中を押してくれるところであって
必ずしも、しがみつくところではないでしょうし。。。
ここhasunohaからでも構いません。
ナナさんはここで少しずつ手を開こうとしているのではありませんか。
『今までの全てが崩壊してしまいそうで怖いのです。』
開こうとしているからではありませんか。いいんです。
たとえ壊れたとしても無くなるわけではありませんから。
自然界なんかはまさに「壊れること=創られること」を前提に成り立っています。
そのままちょっとずつ開いてみましょう。
ここhasunohaが蓮の「葉」である理由は
ナナさんが今まさに開かれんとする「花」だからだと
私は信じています。
南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
しばらく悩んで悩んで、今日ようやく辞めたいと伝えることができました。嗚咽で何言ってるかわからなかったと思いますが、全て察して「心配することない、大丈夫だよ」って言ってくれました。
まだ完全に悩みがなくなったわけではありませんが、大きな不安がとれて大分心が軽くなった気がします。
一歩踏み出す勇気をここでもらうことができました。ここに相談して本当に良かったです。これからのことはまだわかりませんが、ちゃんと自分に向き合っていこうと思います。
吉井様、藤川様、本当にありがとうございました。