大罪
はじめまして。
私は仏の道に近いところにおります。
そんな環境にありながら、
人道にも仏道にも外れる大罪を犯しました。
10年以上前になります。
内容は、煩悩の欄に記載しました。
大切な人を裏切ってしまいました。
その事を知るのは、
私と、当時その話をした友人二人だけです。
大切な人には話しておりません。
その当時は、とある事から
裏切られた、という思いからの
仕返しの気持ちでやってしまいました。
ただ、裏切られたという思いがあったため
罪とわかりつつも、そこまでの罪の意識はありませんでした。
それがつい、昨年の秋~冬になる頃
とんでもない罪悪感に襲われるようになりました。
罪の大きさ、重さにようやく気付いたのです。
それは、余りにも遅すぎました。
心の底から、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
なぜあんな事をしてしまったのか…。
とても重い罪悪感から、罪を告白しようと
思ったこともあります。
でも、できませんでした。
罪を告白する事によって、相手が深い傷を負うでしょうし、
私は全てを失うでしょう。
大罪を犯した私は、やはり救われる事はないのでしょうか。
また、そんな私が、子どもを叱るときに
嘘をついてはいけない
人を傷つけてはいけない
人を裏切ってはいけない
失敗しても、その失敗を認めて
またやり直せばいい
悪いことをした時は、それを反省して
二度とやらなければいい
などと言うのは間違っているのでしょうか。
そんな事を子どもに言う資格などないとも思います。
大切な人に、過去に悪い行いがあった時、
反省してもう繰り返さなければそれでいいのだろうか?
と問いかけると、それでいいと言ってくれました。
もちろん二度と同じ過ちは絶対に犯しません。
長文になってしまいましたが
どうかご指導いただきたいと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それが地獄の閻魔の裁き
地獄の閻魔の裁きとは良心の呵責の事。
死後の事ではない。
あなたの心以外に閻魔はいやしません。
苦しいでしょう。
自分に嘘はつき続けられなかった。
それが「玻璃の鏡」です。
舌を抜かれる。
真実を語らなきゃいけない日が来たという事。
玻璃の鏡とは、不正や悪事を働いてそれをどんなに上手に隠して自分にウソをついて貫き通しても真実は隠せないという事です。顔がゆがむ、怒りが現われる、胸が苦しい。不満が増える。
昨日の節分の青オニとはまさにそれ。
僧侶は顔をみればその人が大体隠し事を持って生きているかどうかが分かります。
❝オンナには一つや二つ秘密があるモノよ♡❞
それはそれでいいと思います。
ですが、懺悔をしなければ人生の憂いのしわ、歪みは消せません。
「40年前に人を殺してしまった」という方が、お悩み相談に来られました。
なぜか時々人殺しさんがうちに相談に来ます。何でですかね。私も人の心の闇をバッサリ斬り捨てるからでしょうか。通報したためしはありません。それが宗教者の守秘義務ですから。
その方には懺悔を勧めました。
仲立ちの司祭者(僧)を立てて、仏前で焼香し懺悔告白するのです。
抱えておられる話もして頂きました。
それで心底、詫びて生き方を改めれられたらしく、それでその人は【おももち】が変わりました。
抜けたのです。自分を責める怨念たちが。怨念といってもそれは自分の自責の念。
過去の過ちは、それが過ちであるともうあなたは十分に恥じたはずです。
今あなたの目は何を見ているか。
その時のあなたはもういない。
目の前も新しく変化している。
玻璃の鏡以上の真実の鏡はあなたの肉眼です。
あなたの心は過去を映すプレイヤー。
あなたの眼はいまを映すムービー。
あなたの今の生き方は過去を振り返るプレイヤー。
あなたの今の五感は今を映し続けているムービー。
ところがあなたはどうしても過去を振り返る。プレイヤーに残っている記憶で自分を責める。
一度その記録をフォーマットしにお寺に来るとイイですよ。
機会があれば個人的にサングラスなどで顔を隠しながらでもいいですから懺悔にお越しください。
あなたが誰であるかは問いません。
懺悔も聞き留めます。
人に直接聞かれたくなければどこかのお寺にいって真剣に懺悔告白して詫びることです。
共に懺悔をしましょう
仏教における大罪とは五逆罪を指します。
母を殺すこと。
父を殺すこと。
阿羅漢を殺すこと。
仏身から血を流させること。
僧団を乱すこと。
なので仏教的には大罪まではいきません。
お釈迦様は私たちに悟りに至る環境を整える為に、苦しみから遠ざかる為に、戒律を授けました。
最も基本的な戒律は五戒です。
殺してはならない。
奪ってはならない。
嘘をついてはならない。
浮気してはならない。
酒を飲んではならない。
あなたはこの中の1つを昔犯したのです。
その為に苦しんでおられる。
ところで、ここだけの話、私は時々酒を飲みます。
僧侶失格です。
なので、次の日、懺悔偈(ウィキペディアにも分かり易く載ってるので知りたければ検索してみて下さい)という文を読みます。
そして、十回念仏を称えます。
南無阿弥陀…
それで気持ちも新たにしています。
共に懺悔しましょう。
私は浄土宗なので阿弥陀仏に懺悔します。
あなたはあなたの仏様、あるいは神様、あるいはご先祖様に懺悔してください。
仏様達は必ず聞いています。
すでに反省しているあなたは、子供を教育する資格は十分あります。
ちなみに大切な人の立場から言えば、その事は言わないで欲しいですね。
私はどうにか受け入れる自信がありますが、普通の人はなかなか難しいでしょう。
知らぬが仏と、ことわざにもあります。
ルパン三世も、嘘は女のアクセサリーだ、と言ってます。
たぶん大切な人だって隠している事の1つや2つありますよ。
質問者からのお礼
丹下様
ご回答ありがとうございます。
記録をフォーマット、させたいです。
目の前の家族を心の底から大切にするためにも
心からの懺悔、反省が必要なのだと思いました。
今は事情があり、お寺へ伺うことができないので
せめてと思い心の中でお題目を唱えたりしています。
懺悔と反省の気持ちを忘れずにいたいと思いました。
聖章様
ご回答ありがとうございます。
今、私は自宅ではありますが
仏様に懺悔し、お題目を唱えたりしています。
そしてもう二度と繰り返さないと誓っております。
目の前の家族を大切にしていこうと思います。