お坊さんは、どこまで自分のために贅沢やお金を使っていいの?
誤字等あれば、ご容赦ください。
今回は、先日感じたことについて、色々なお坊さんの意見を聞いてみたいと思い、投稿しました。
聞きにくい事ですが、勇気をもって質問させて頂きます。
お付き合い頂けるお坊さんがいてくれたら幸いです。
自分は先日、菩提寺に行った時に、住職の車が外車なのを知りました。
よく回答して頂いているお坊さんなどはご存知だと思いますが、その時精神的に沈んでて、「外車かよ…」と悪く思ってしまいました。
というのも車整備のバイトをしたこともあり、日本の車道にはやはり日本車があっていること知っていて、実用面よりブランドで選んだ、執着しまくりじゃんと思ってしまいました。
今振り返ると、大人気ないです(-_-;)
ただし、お坊さん達は、お坊さん達が上等なものを持つという事に対して、どういう考えをお持ちなのかは、ふと気になることがあります。
「お坊さんだって好きなもの欲しい」「お金があるならいいだろう」というお坊さんもいると思いますし、自分もある程度はいいと思います。
ですが仮に、全うに稼いだお金が潤沢にある一僧侶や一寺院が、ロールス・ロイスやリムジンを持ったとしても、同じことが言えますか?と考えてしまいます。
例えば、超貧乏な檀家さんを前にして。
テレビに良く出演されているある方は、ある宗派の本山の金文字入ったキャデラックに、追い越される際、全身土埃浴びせられ、追いついた際「あなた達の開祖は貧乏な人々に寄り添い、信仰を集め広めていったのに、弟子であるあなた達はなんなんですか、そのヤクザみたいな金文字入った高級車は必要なんですか」と問い詰めたそうです。
清貧であるべき、節度があれば、自身の金なら無問題など、それぞれに仏教的回答があると思いますし、正解があるのかもわかりません。
多分お坊さんによっても考えが違うのではと思います。
ただ、だからこそ現在に生きるお坊さん一人一人の考えを聞いてみたいと思いました。
そもそも、あなた人を金だけで見ないようにでも結構です。
可能な範囲で結構ですので、回答頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たくさんコミュニケーションしましょう
一番ご関心があるのは執着として如何だと思います。
これは日本人は潔癖すぎて逆にお釈迦さまの教えから外れてい部分があります。実はですね、日本仏教より南伝の上座部仏教のお寺の方がはるかに金ピカです。
http://myanmarlog.blogspot.jp/2013/06/no1.html
なぜでしょう?確かに贅沢に溺れるのは当然間違いですが、逆に変にアレルギーを持つのも執着です。両極端でしか無く、嫌う心は嫌う心で苦の原因になるからです。
実際、お釈迦さまは深山幽谷ではなく、程よく人里に近い場所か町中にお寺を建てなさいとおっしゃっていますし、寄附された金色の絹布のお袈裟をお召しになって亡くなっています。
「贅沢品を持っていると穢れる」のような感覚は中国発祥の清貧思想であって仏教ではありません。日本ではおそらく江戸時代の朱子学によるものでしょうね。
本来、仏教的には「質の良し悪しに目をつけるから苦が生じる」という点が大事です。所有自体が悪いのではなく、所有するとせざるとに関わらずブレない心が問われます。このような「中道」を丁寧に説いてこそのお坊さんだと私は思います。
実体はほとんどのお坊さんが外車や高級車に手を出せる経済力が無いというのも含め、誤解だらけの仏教を丁寧に説明し直さないといけないのだと私は考えています。
とはいえ私も義両親を本山にご案内した折、お坊さんのクラウンを見て何とも言えない嫌〜な雰囲気になりました。それが一般的な感覚です。たとえ余裕が出来ても高級車は控えようと感じました。でも、お檀家さんの中にはウチの葬儀にはレンタカーでもいいから高級車で来てくれという人もいるそうですからね…単純ではないですよ。
私の愛車はホンダのフリードです。田舎の盛大な自宅法要や自宅葬儀では、大きな椅子に木魚や大小の鐘、太鼓やシンバルのような物、旗、卒塔婆、法衣バック等々を入れて師匠と2人乗りますので、ある程度大きさが必要です。お給料も元をたどれば浄財ではありますが、お坊さんとしての仕事に関わるものですのでご容赦いただければと思います。
あるいは、あるお坊さんは年間4万kmを走り回り、各地でお説教をなさっていますが、そういう人は遊ぶ暇もありません。せめて移動くらいは快適にさせてあげていただきたいと思うのですが、難しいでしょうか?
僧侶失格です
私が先輩僧侶から教わったのは、
車にしろ、テレビのサイズにしろ、個人的な所有物は、檀家さんの所有物の平均の少し下にしなさい、という事です。
なので、お金があるからといって高価な車を持つ事は、私から見れば僧侶失格です。
ただし、もし檀家さんが是非これを使って下さいと布施した高価な物を、大切に使わせていただく、という場合なら許されるかな。
僧侶にもセルフケアが必要です。が、ほどほどに。
竹丸さま
聞きにくいところ、質問ありがとうございました。目黒・五百羅漢寺の佐山と申します。
竹丸さまも仰っているように、僧侶ひとりひとりの見解が違う問題だと思います。私見だと思っていただければ幸いです。
まずそもそも、お寺に停まっている車が、すべてお寺のものとは限りません。
檀信徒の数が少なく、仏事だけではお寺の維持が成り立たないお寺の場合、土地を駐車場として貸し出しているところもあります。
そして、お寺にはいろいろな人が訪ねて来られます。中には、お金持ちの方や偉い政治家の方などが来られる場合もあります。
そういった方々が高級車を境内に停めていた時に、誤解されてしまう場合もあります。
「でも、お寺で持っている車が高級車の場合もあるでしょ?」と仰る方もいます。
お寺では、様々なお客様の送り迎えをすることもあります。その中には、偉い先生や、偉い僧侶の方もいらっしゃいます。
その時に、より安全にお客様を送迎するために、高級車を所有しているお寺もあるかもしれません。
「そんな事を言っても、本当は結局、お坊さんが個人的な趣味で高級車に乗っているんでしょ?」と仰りたいかもしれません。
確かに、なんだかんだ言って、個人的な趣味で高級車に乗っている僧侶もいます。ですが、それは竹丸さまも仰っているように、ある程度は仕方ないと思います。個人的な趣味なのですから。
人に迷惑をかけていなければ、問題ないと思います。
私は「セルフケア」という言葉を大事にしています。人の悩みや相談事を聞くとき、自分自身の精神や身体が健康状態を保っていないと、落ち着いてお話を伺う事ができません。
そのため、自分がオフタイムの時は、趣味などによって、自分の心を癒す事が必要なのです。
それが、高級車に乗ることだという僧侶も、いるのだと思います。
ただ、あまり檀信徒の前で乗り回しすぎると、当然印象は良くないですよね。
そういう空気の読めない僧侶たちが、今後徐々に人気がなくなっていき、見向きされなくなっていく事は十分に考えられると思います。
ほどほどに、人に迷惑をかけず、「良い加減」で楽しんで欲しいものです。
見る人次第で意味が変わる、安定しない物
一概にこうとも言いにくい難しい問題です、ですが疑問は最もです
僧侶の経歴の中にも様々な方がいらっしゃいます。
例えば家がお寺で僧侶資格は若いうちに取ったが大学を出てからは一般企業や公務員として務め、先代住職が出来なくなったので仕事を退職して住職になる、こういった方は主に会社員としてや公務員としての立場で過ごしてらっしゃったので外車が好きな人は乗っていたりします。
他にはお寺だけだとどうやっても生活していけないので平日は企業で働き、週末だけ僧侶としての職務を行う、こういう場合も半分以上は会社員などですのである程度趣味にお金をかけたり見た目が派手なものになってしまうのもしょうがないのかもしれないな、と。
上記の2パターンは檀家さんなど状況を知っている方からすれば理解は得られるかもしれません。
僧侶だけをしていて外車に乗る、というのは檀家さんからもイメージは決して良くないでしょう
そしてこれまでの3パターン全てにおいて言えることですが「その人が僧侶の資格を持っていると知っていて、外車にのっているのを知っている」、場合は普段企業勤めをしていることを知らなければ反感を買うでしょう。
対人に対して話をする人、というのはある程度道具を心の中に持っている必要があると私は考えています。
それが趣味であったり、様々な俗知識であったり、そういうものを持っているからこそ相手に共感が出来る、より相手を理解するためのツールになると考えています。
ただ、そういうものは見せびらかすような場所に置いたりあまり人に見えない部分で遊ぶものだと思います。
レジャーなどで使用しているのを写真に撮ってブログに載せたりくらいはいいでしょうが普段から見せびらかすものではない、という意味ですね。
そういう点では車はどうしようもないから難しいでしょうね、もちろん車好きに対して話をする分にはいいでしょうが不特定多数に見られることを考えると・・・・難しい
例えばゲームであるとか、アニメグッズや漫画であるとか、ロードバイクであるとか、家の中に普段置いているようなものだと良いと思いますが。
外車が好きなのもいいとは思いますが見られにくい工夫はしなければいけないのではないか、とは思いますね
やはりそれだけを見るとイメージは良くないでしょうから。
何を買うかより、どんな気持ちで買うかが問題
二つの側面がある問題です。
1つめは、仏教徒としての修行の問題。
これについては、執着しなければ贅沢自体は悪ではないのです。その人の経済状態からみて異常な買い物でないなら異常な貪りでもないし、ケチケチするのはむしろ怒りの煩悩ですから、使えるお金があるなら使ってよいのです。消費することは地域経済にもプラスですし。
高級車を他人に見せびらかしたいプライドの煩悩があるなら、善くありません。
車屋さんに「買ってもらえませんか」と頼まれ、たまたまお金があったから「オッケー」と即答、別にどんな車でもよかったが頼まれたから買っただけ、とかなら問題ありません。能力的に可能なら、犯罪以外はどんな頼みも引き受ける身軽さも、人徳です。
2つめは、イメージ戦略の問題です。一般的に、お坊さんが高級車や派手な車に乗ってたら印象悪いのが常識なので、お寺や仏教のイメージアップを意識するなら、車選びにも配慮するはず。それをしない(できない)のは、お寺の経営能力としては問題かも。
まぁ、何が贅沢なのかという基準も絶体ではありません。
都会ならマイカーを持つことも贅沢かもしれないし、田舎なら一人1台車がないと不便。
質問者からのお礼
返礼がかなり遅れて、申し訳ありません。
返礼を、書かせて頂きます。
翔玄さん、回答ありがとうございます。
一般人側から見えないお坊さん側の話が、なるほどなと感じさせて頂きました。
正に、見る人次第で意味が変わる。自分的には、どれだけ事情を知っているかで見方が変わると思いました。
趣味、俗知識が、話をするのに必要という点も、共感しました。
興味のある、面白いことには、人は関心を持ちますしね。
大慈さん、回答ありがとうございます。
南伝の上座部仏教のお寺…、「すごく・・・金ぴかです・・・」
確かに…、言われてみればあっちのお寺金ぴかだわです。
お釈迦様の話、清貧思想の話は、歴史好きの自分としては、なるほどと思わせて頂きました。
クラウンの件(くだり)での、何とも言えない嫌〜な雰囲気の台詞が個人的に好きです。
高級車で来てくれという人もいるんですね。
そのことに、お坊さんはどうするのか、興味を持ちました。
最後の、あるお坊さんは年間4万kmを走り回り、~。の文ですが。
個人的には、必要なら購入は何も問題ないと思います。
自分だって、その人には移動くらい快適にして頂きたいです。
だからキャンピングカーでもいいと思います。なんだったら風呂付きでもいいです。
でもジャグジー付きは、本当に必要かと考えてしまいます。
そして風呂釜が黄金じゃないと快適じゃないといわれたら、自分はNOです。
ちゃんと何故かを文章で書くのは、意外と難しそうですが。
やっぱり、その人にとって必要かどうか、他の人から見ても許容できるかどうかだと思うんですよね。
寝たきりの人には、動くベットって必要ですが、一般人には必要ないものです。
しかし、その動くベットに、極端な装飾はいらないですよね?
でも、マットの硬さ、心地よさぐらい、選ばしてあげたいものですよね?
必要と、他の人から見ても許容できるわがままが、自分の考える「中道」かなと思いました。
でも、そんなこと考えてたら、今度はなんで他の人から見ても許容されないといけないのと、悩むようななってしまいました。
トホホ…(-_-;)
願誉浄史さん、回答ありがとうございます。
文章の中で、
執着しなければ贅沢自体は悪ではない。
身軽さ。
配慮。
が、個人的に印象になりました。
身軽さが、浅慮にならないようにしなければならない。
行為には責任と結果が伴うと感じました。
聖章さん、回答ありがとうございます。
清貧であるべきに近いお坊さんもいるんだなと、思わせて頂きました。
ある意味、新鮮でした。
佐山拓郎さん、回答ありがとうございます。
丁寧に段階を踏んで、書いて頂いてありがとうございます。
でも、その中で、唯一、偉い先生や、偉い僧侶の方辺りが、ちょっと心に引っかかりました。
言葉の揚げ足取りのようで、申し訳ないですが、偉い人だから高級車が必要なのか、偉くないと必要ないのかと考えてしまいます。
より安全にお客様を送迎するための方も、軽自動車と高級車でそんなに違うのかや、送迎ならせいぜい1~2時間でしょと考えてしまいます。(もちろん車いすの方や、ローマ教皇のように命を狙われるなどの理由で必要なら別ですが)
自分が仮に送迎側だとして、車のランクに文句をつける人がいたら、どんなに偉い人でもなんて心の狭い奴だと思うでしょう。
もちろん送迎側が、礼を尽くす、配慮するの意味で、多少良いもの取り扱うというという事は、理解しています。
ただ、ちょっと偉いというワードが、少しだけ引っかかったので述べさせて頂きました。
他意はないので、あしからずでお願いします。
基本的には、なるほどと思ったり、共感させて頂きました。
今回、皆さんの色々な考えを聞かせて頂いて嬉しかったです。
なるほどと思ったり、うんうんと共感させてもらったり、もう一度考え直したりしながら読ませて頂きました。
また突っ込んだ、とがった質問をすることもあると思うので、その際はまた回答いただけるとありがたいです。