繰り上げ初七日について
こんにちは。初めまして。
先日、最愛の祖父が亡くなりました。
突然の別れで心の整理がついておりません。
今まで、人の死にあまり直面したことがなく
恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず
祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。
そこで気になったことがあります。
祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。
本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが
今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。
ですが、四十九日の意味合いを調べた中で
七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い
最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり
(四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました)
その場合、繰り上げ初七日をしたので
数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり
天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか?
もしそうであれば
今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが
大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように
定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。
言葉が拙くて申し訳ないのですが
ご教示頂けますと幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
譬え話に託されているものは何か
順を追って書きます。まず、昔は49日まで忌引きで仕事とかも全部休んでいました。故人との近さにもよりますが、本当は死別のケアにはそのくらいは当てないといけないんです。実際のところ、亡くなって1ヶ月くらいで実感が押し寄せて辛くなるケースも多いですしね。
その中で遺族が「故人のいなくなった世界」であるとか、「記憶になっていく故人」をどう方向付けるか…というものが大切になっていきます。「あの人がいなくなってしまった世界に意味はない!」よりは「あの人がが大切にした世界、私も大切にしよう」と思える方がいいですよね。あるいは「あの人への恨みは生涯忘れない!」より、せめて「反面教師にしよう。あの人から学ぶこともあったな。」って思ってもらった方がいいし、できれば「ひょっとしたらあの人も辛かったのかもなぁ」って気付いてもらう方がいいわけです。
裁判って、実はそういう遺された人たちの心がどこへ向かうかの暗喩なんですよね。
それを仏式なら仏の教えの方向に導きたい…というのが七日ごとの法要の本質にあるわけです。中陰法話を聞くことしかり、読経するのもしかり。最近、こんな実験結果も得られましたしね。
>「お経を聞くと…悲しみが癒やされる」免疫力向上効果、東北大チームが確認
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181213-OYTET50024/
そういった意味では、初七日を繰り上げることには良くも悪くも意味がありません。ぶっちゃけ七日参りをちゃんとする地域では、繰り上げても結局は2回やるだけなのが普通ですし。
じゃあなぜ繰り上げるかというと、遺族のためではなく、初七日にお参りできない参列者さんのためなんです。もしくは「お葬式で一緒にやりますから、初七日の自宅への弔問はご遠慮下さいね。」という場合も。
田舎では今も初七日までは地域の組の人が集まる所もあります。49日や年忌法要もお寺ではなく自宅でやるのが昔からの習慣です。ウチの地域では親族だけではなく、「向かい三軒、両隣」のご近所さん五軒を招待するという風習もあります。
だから繰り上げの初七日の話は、「成仏がー」というよりも、「人と人との繋がりが希薄になっちゃいましたね」とか、「職場環境がキツすぎなんですよね」という類の話なんです。
もし七日参りをご希望でしたら、菩提寺さんとご相談ください。
お悔やみを申し上げます。
7日ごとに裁判うんぬんは、中国の思想からきたもののようで、物語程度に考えてくだされば良いと思います。
今後も四十九日、一周忌、三回忌...と年回忌法要が続きますが、当たり日ぴったりに行う必要はありませんし、そのようなお宅はほとんどありません(なったとしても偶然その日になったという感じです)。参列者の都合に合わせ集まりやすい日を決め、当たり日より早めておこないます。ですので日の事は気にすることはないでしょう。
いつおこなうかより、亡くなった方が死後やすらかであれと思う気持ちが大事だと思います。
いつやったかよりも回数が大事
7日ごとに裁判があるというお話は、厳密に信じる必要はないと思います。
法要を繰り上げて行ってもかまわないと思います。
私の地域では、四十九日まで7日ごとに法要を行っています。
一回でも多く、身内(同居家族だけでもよい)が集まって法要を行うことは、素晴らしいと思います。
タイミングがずれても良いので、故人のために一回でも多く法要を行うのが良いです。
法要も仏教の修行(トレーニング)の一つです。
トレーニングは、1日だけよりも、7日やった方が効果が期待できますよね。
それと同じです。
あとは、家族を亡くした人でもずっと悲しみに明け暮れるのは良くありません。
悲しみに明け暮れてよいのは四十九日間くらい、それに向けて少しずつ心を明るくしていくという意味で、7日ごとに修行を行うのは、遺族の心の回復のために良いと思います。
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、みんな漏れなく極楽浄土に往生できると考えます。
法要は、亡くなった方に念仏を聞かせるチャンスでもあります。
生きている私達の修行の功徳(効果)を、亡くなった方のために回し向けるという意味もこめて、亡くなった方が良い境遇に生まれかわれるように願いを込めましょう。
質問者からのお礼
皆さま、ありがとうございます。
1つ1つ目を通し、心に刻みました。
何をすれば祖父は穏やかに天国へ行けるのだろうと必死になりすぎていました。
知識や習わしに固執されず
大好きだった祖父への感謝と
また生まれ変わったら出会えるように、私も頑張って徳を積むから見ててねという心持ちで
悲しみを乗り越えてゆきたいと思います。
お経は弔うだけではなく
心を穏やかにしてくれるんですね。目から鱗でした。
法要の際には祖父を思い出しながら聴きたいと思います。
お優しいお言葉の数々が心に染み渡りました。
ありがとうございました。