「不足感」への対処
ここ最近、「何か足りない」ような気持ちに急かされるように毎日を送っています。
お金が足りない、幸せが足りない、毎日の予定をもっと埋めなくては…
それは一つの原動力にはなるのですが、毎日その不足感に苛まれて心が潰れてしまいそうです。
幸せになるために、というより、不安感を埋めるために毎日を過ごしているような感覚です。
しかもその不安感を埋められるのもつかの間、まだ足りないという気持ちに陥ってしまうのです。
また、努力して上手く行ったときはいいのですが、上手くいかなかった時は過剰に自分を責めてしまいます。
そして、何かを失うということに対しても過敏に恐れてしまいます。
友人、恋人、仕事…。失ったらどうしよう、上手くいかなかったらどうしよう。
常に動かなくては、努力し続けなくては、途端に崖の下に叩き落とされてしまうような気持ちです。
相談したいのは、以下の三点です。
・不足感をどうしたら満たすことができるのか
・失うことに対する不安への対処方法
・努力が実らなかった場合の気持ちの切り替え方
とりとめのない文章ですみません。
どうぞ宜しくお願い致します。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これでいいのだ。今日に納得しながら生きる。
仏教ではね、私たち人間には煩悩があってね、これは悪とかダメなものというより、自然に沸き起こる感情なのだけれど。その想いが時には、自分自身を苦しめるの。
煩悩にも、いろいろあって。あなたを苦しめているものは、「貪欲(とんよく)」
あなたが言うように、想いは励みや原動力にもなるけれど、この貪欲は貪る心。
もっと、もっと、と満足出来ず、キリがないということです。それによって、今手にしている大事なものにも、喜びや感謝を感じられなかったり、もっといっぱい、もっと上へと、満足出来ず、足元の、目の前の縁を粗末にしていませんか。
不足を言えばキリがないし、充実感、幸福感を得ても、得ているのにもかかわらず、まだ足りない、もっとほしい、離したくない、どんどん どんどん、抱えて抱えて。ようやく満足かと思えば、いやいや、人が羨むくらいでないとダメよ、、、と貪欲に支配されると、貪る鬼になってしまうのよ。
失うこともそう。執着が強過ぎると、絶対離すものか!持っている人を妬み嫉妬する鬼になるかもしれません。
それもこれも、自分自身が勝手に描き出した欲なのです。
 
そんな自分は、どう?  理想的かな。
気づけば、周りに誰もいなくなったということだって。
お坊さんの私にも、欲があるのですよ。みんなに。ただ、それに振り回されれば、己を見失うことをよくわかっています。
努力だって、実らないと思っても、今はそうなだけ。何度でも、チャレンジや、また未来を描き直せばいいの。
これでいいのだ。今日の日、今日の命に、今日の縁に、納得しながら生きる。それが、悩まない生きやすさですよ(^^)
質問者からのお礼
中田様
温かいお言葉をありがとうございます。
貪欲と言われ、ドキッとしました。確かにその通りであると思います。
もっともっとと貪る心… 飲み込まれないように努力しないといけませんね。
「これでいいんだ」という言葉、1日が終わる際に呟いいてみようと思います。
その日にあったどんなことも受け入れて感謝する心を育てていきたいです。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
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