いつもお世話になっております。
診察やカウンセリングに通いつつ、早く起きてアパートを
毎朝清掃して、その足で祈願寺(片道約1時間半)の写経道場へ…
祈願寺では写経の後、待ち時間で数学や物理の勉強、
その後護摩行でお経を上げて帰宅後は筋トレ…
というルーティーンを送っていたら…
それはそれは見事に体壊しました。
「鍛えなきゃ!」「強くならなきゃ!」という気持ちだけで
毎日やっていたら、知らぬうちにソッチ側に疲れが溜まっていた
のかえらい事になりました。
そこで湧いた疑問が、いわゆる「鍛える」「忍耐する」
それだけが修行や訓練とは言えないのでは。という事です。
自分自身の器物の大きさや、今の状態に気づくのも
大事なんではないか?と。
私が今まで遭遇してきたトラブルの数々も、
「あれ?おかしいんじゃないか」と野生の勘やいわゆる霊感・
第六感のように感づく前触れや兆候のたぐいはありました。
それらの勘を、「我慢しなきゃ!」「頑張らなきゃ!」
「この程度で大げさな…!」と思い続けたり、
「まぁ、こういう人もいるんだ。悪い人じゃないかもしれない。
突っぱねたら失礼だ」とあえて目を瞑った結果、
最悪の事態に発展するのがお決まりでした。
そこんとこ、どうなんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず、なぜ、修行や訓練をしなきゃならないのか?ってこと。あなた自身がね。
ルーティーンは、人それぞれだし、決めている人もいれば、自由気ままな人もいるし、それは自分の人生だから、自分で決めればいいこと。
それと、人生の中での学びや気づきは、修行や訓練 以外からでも、得れる。環境や人を通して、また経験を通して、知っていける。
あなたが、今までの体験や 修行、訓練、から得たものを、自分の生きやすいように、身につけていけばいいのだよ(^^)
身体は、大切にね。
無理のないよう、自分ペースで◎
お釈迦さまは苦行を否定しています。
今までの問答で、あなたは楽しんでお寺さんに通っていると思ってました。違うのでしたら(いろいろイヤな思いもしているようですし、体調が悪くなるほど通っているのでしたら)もう行くのはやめると良いと思います。
【光禪 先生】
ご回答ありがとうございます。なんだか非常に誤解されているようなので、
言わせていただきますね。やや乱暴な表現もあるかと存じますがご容赦を。
むしろお寺は楽しいですよ。職員さんもすごくいい人たちです。
楽しいからこそ、私たちのお寺を利用して悪巧みする人が許せないんです。
私が切れてるのは、あくまで「一部の無作法な客」に対してです。
大事な事なんでもう一度言います。「『一部の無作法な客』に対して」です!
ですがそれに関しては、これ以上お寺の方に迷惑をかけたくないので、警察の生活安全さんで
私自身何ができるか相談して対策をご教授頂いているので、解決済みです。
実際に警察の方に教わった事をやってみたら、円満かつ穏便に解決しました。
単に、当時の私に、そういうやばい人から離れる為のスキルがなかった、ただそれだけ。
他にも行きつけのお寺がありますが、どこでも、そういう人はいます。それ全てに
「もうイヤ!行かないっ!」ってしてたらどこも行けないでしょ。
まずみんなの第一声が、「若いわね〜珍しいわね〜」ですからね!?
若者が目立つのは、どこのお寺もそうなんですよっ!
ちなみに私がパニクるのってお寺限定じゃないですからね?
道歩いてても急におばあちゃんとかに見つめられると怖くなります。とっさに
「ぎゃー!不審者っ!」とか叫んで走り出しちゃったりね。
ダーっと乱暴に打ち込みましたが、まとめると、
1、お寺は楽しい。楽しい場所だからこそ、如何わしい事をする連中が許せない。
2、私がパニックになるのは、お寺限定じゃない。道や電車などでも、見つめられたり何か
言われると、大声を出してしまったり、走って逃げてしまったりする。
著しい誤解を招いてしまったようなので、言わせていただきました。
【中田 三恵 先生】
ご回答ありがとうございます。私の場合、その「今までの体験」が全部イかれてて、
その影響で何もかも、敵や悪いものに見えちゃうんですよ。それを落ち着ける為の修行
だったんですが…誤解されちゃいましたかね。
カウンセリングも結構気を使うんですよ。セッションでは修正すべき脆弱な所を探すために
結構ギリギリなところまで聞かれますし。
カウンセリングも最近になって始めたので、慣れてなかったんだと思います。
精神安定ホルモンも、タンパク質やらビタミンやらミネラルやらが原料なんですよ。
私の場合人より早く、体の中でそれらが不足しちゃうんです。体質上。