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祖母の急逝の原因

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有り難し有り難し 33

初めまして、質問させていたただきます。

つい先日、祖母が急逝しました。浴槽で孤独死していた所をデイサービスの方が通報して発見してくださったようです。
祖母は身体は強い方ではなく、生活習慣病等もありましたが、死の当日の数時間前の電話の様子では元気そうだったらしく、午前中には運動に行ったりしていたそうです。

実は、祖母の死の前日に、私は自転車で「ポケモンGO」をやっている最中、原木山妙行寺という日蓮宗の寺の山門の前まで立ち寄り、特に参拝や敬う等もせず、そそくさと帰ってしまったのですが、祖母は浄土宗なので、こちらの寺からお怒りを受け代わりに祖母が巻き込まれて亡くなってしまったのではないかと考えてしまいます。ご意見お願いします。

それともう1つ、実は私の家系は代々、死ぬ間際の行動に特徴があり、亡くなっている祖父も、死の一週間ほど前に久しぶりに故郷に帰り、普段は合わない親戚一同に挨拶をしてから帰り、その後突然死しており、祖母も死亡した日の前日に、久しぶりに祖母の弟と電話で話をした、ということを話していたり、死の数日前から遺産の整理をしようとしていたりといった行動をしていたそうです。
これらの行動は死期を悟っていたという解釈をして良いのでしょうか。また、突然の死でまだ心の整理が付かないのですが、どのような心持ちで葬儀に出れば良いのでしょうか。

質問が多くなってしまい申し訳ございません。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全く関係ありません。

その日蓮宗のお寺が腹いせに罰を与えたなんて
そう考えることこそが罰当たりですよ。
そのような力があったとして
よもや悪いことに使うなんて
仏教ではありえません。

死期を悟っていたかのような行動は
私も周りにもあります。
たまたま偶然そうなったのか
本人にその自覚があったのか
全て後の祭りで確認は取れませんが
そういう物語を信じるのは
グリーフケア(死を受け入れる助け)になります。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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死期と結びつく行動は、常に死後にそう解釈されたもの

こんばんは。亀山純史と申します。
まずは、ご祖母の急死に対しまして、お悔やみ申し上げます。

さて、死期と結びつく行動というものは、常に死後にそう解釈されたものです。つまり、ある行動に対して、たとえば、お寺の前を通りながら参拝しなかったこと、あるいは、久しぶりに故郷に帰り、普段は会わない親戚一同に挨拶をしたこと、などに対して、その翌日に死がやって来る、とは誰も思わないことです。誰かが死んでから、あとでそういった行動と死を結び付けて、そう思うのです。なお、お寺の前を通りながら参拝しなかったことで仏様の怒りを買うようなことは、決してありません。仏様の教えに耳を傾けない者に対しても、救いの慈悲を降り注いでいるのが仏様なのです。

ところで、突然死に対しての遺された人たちの心の整理には、時間がかかることでしょう。人の死を受け入れるには、死に対しての覚悟というものが必要だと思います。その覚悟が出来ていない状態で迎えてしまったその人の死においては、遺された人たちは、亡くなられた方への後悔の思いで、自らを責めてしまうこともしばしばです。今回のご相談の中で、自分がとった行動が祖母の死を招いたのではないか、と思ってしまうのも、そのような心の現れなのです。

すべての死は、私たちに命の尊さを教えてくれるものです。死者はすでに言葉を発することは出来ない状態にありますが、私たちに命の尊さについて語ってくれるのです。その中で、突然死によって亡くなられた方は、明らかにこの世の無常を人一倍、私たちに教えてくれています。私たちはその教えに耳を傾けていきましょう。そうして生きていくことが、私たちがお亡くなりになられた方を、死後も大切にしていくことに繋がるのです。

以上が私からの回答になります。十分な回答になったかはわかりませんが、少しでも心の安らぎに繋がる回答であったならば、と思っております。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

お早い回答ありがとうございます。

亀山様、ありがとうございます。
命の尊さ、祖母の最期の贈り物として受け止め、しっかりと噛み締めたいと思います。

和田様、ありがとうございます。
自責の念から少しでもお寺を疑ってしまった自分を恥じ、後日御参りに行きたいと思います。

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