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死にかけました。

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薬の副作用で死にかけて入院しました。
死ぬことに恐怖を感じました。
それから死ぬのが恐ろしくなりました。
今まで鬱を患ったせいか、死に対してあまり恐怖を感じたことが無かったのですが、今は怖いです。
これは普通の感情ですか?

2019年3月24日 17:55

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死への恐怖 実は死の過程への恐怖?

ハシビロコウ 様

私自身も二年前の今頃、3月半ばに死にかけた(心停止した)ことがあり、ひと月入院しました。
いつもヒトの死別に向き合っているのが、普通一般の僧侶ですが、いざ自分の死(らしきもの)を直接体験すると、色々混乱するモノです。
ただ、死は避けられるモノではありません。今日か?10年後か?数十年後か?、全く予測できませんが、必ず、誰にでも訪れます。
[死ぬことの恐怖]を持つ事は普通の感情です。死にかけたことで、それまでの考えが一変し、[生きること]へ執着が増えるのも当然!
今、ハシビロコウ様にある恐怖は、死の恐怖 というより、死までの過程の漠然とした恐怖 ではないでしょうか?
[後生の一大事]と浄土真宗で表現する[死後]については、本当に見聞体感した人は、今の世界にはいません。
でも、仏教は恐怖を取り除くのではなく、その恐怖・苦しみと向き合う宗教です。
ハシビロコウ様の、生死の苦・恐怖を、是非リアルで行けるお寺・お坊さんにも吐露して下さい。
共に安らかに歩む道を示してくれますヨ。

これじゃ回答になってないかも・・
まぁ、アドバイスです。

2019年3月24日 22:45
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石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしておりま...

はい、普通です

拝読させて頂きました。
はい、普通だと思います。死にかけると改めて自分の生命や人生や周りとのご縁を見直す機会が得られます。
どうぞこれからもあなたの生命や皆さんの生命を大切になさって共に豊かな毎日を過ごして下さいね。

2019年3月25日 12:41
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
死そのものより死に至るまでも恐怖ですね。
死んだら愛しい人たちと別れることになるとか色々考えて涙が出ます。

色々心が落ち着くまで待って、あとは体も早く治るように養生します。
ありがとうございました。

一向寺の僧侶様
お返事ありがとうございます。いつか終わる人生ですが、大事にしたいと思います。ありがとうございました。

「死ぬのが怖い」問答一覧

とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

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自己愛が強すぎて死ぬのが怖いです。

私は相当な自意識過剰で、表には余り出せず当たり障りのない振る舞いをしていますが、おそらく普通の人の何倍も自己中心的な考えをしています。 そのため、自分がいつか死ぬ、という事実がとてつもなく怖いです。私にとっては今ある私の意識が全てなんです。それがいつか消えて二度と戻ってこないなんて考えただけで気が狂いそうになります。 「個性を大切にすること」「自分の個性、主張をはっきりさせること」 というような教育を受けて育ってきました。私は、そういった価値観に馴染めず、その理由はあろうことか臆病なまでの自尊心にあるのです。ナイーブでネガティブ、なのに自分が死ぬのだけは耐えられない、こんな自分勝手な自分が嫌になります。死ぬのが怖いなんて思うのはいやなんです。 どうしようもないことだし、辛いし、それだったら他のことに時間を使った方がいい。分かってるのに不安で押しつぶされそうです。そしてそう言った考えが引き延ばされて、過去の行いを悔やんだり、自分のゴミみたいな性格を呪ったり、どうしようもないことばかり考えてしまい、負のループが延々と続いてしまいます。 私はこの異常な自己愛を捨て去りたいです。せめて人並みに落ち着かせたいです。どうすればいいんでしょうか。それで全てが解決するような気がしてなりません。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

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