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友達が0人です

タイトルの通り、私には友達が0人です。

職場などで同年代の集まりのグループに入れてもらえるような時はあるのですが、結局そのなかでも個人的に親しい人はできません。
友人とはどうやって作るものなのかわかりません。

私は自分の過去を後ろ暗く思っているため、新しく知り合った人にも、クズと思われてるのではないか?と思ってしまいます。
自分が自分を嫌いなせいで疑心暗鬼になっていますが、どうにもそれを止められません。

誰かが人の悪口を言っていると、「その人より私の方がダメな人間だし、きっと私はもっと皆に沢山言われてるんだろう」と思って心がどんどん固く顔も凍りついてしまい、悪循環に陥ります。

健全な人間関係を維持しているひとは、こういうときにどうやって対象しているのでしょうか?

他人・友人関係
有り難し 14
回答 1

質問投稿日: 2019年3月25日 19:45

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

自分にできることを

ご相談拝読しました。また、プロフィールも読ませていただきました。

ゆき様の言う「友達」や「健全な人間関係」の定義、あるいはイメージがどのようなものかわかりませんが、もしも「何でも分かり合え共感・共有できる相手」のようなものを想定しているのであればそこに誤りがあると思います。

人間は孤独です。他人の気持ちは分かりません。よって究極的に云えば「分かり合える」ということはないのです。

それでも、たとえ一方通行でも「私はこの人の友でありたい」と思える相手が友達なのかもしれません。
そこまでの相手ができなくとも、ライフステージに合わせて変化していく人間関係の中で、この時はこの人と交流し、この時はこのグループを頼り、この時はあの人に相談し…という相手がいることは大きな支えにはなるでしょう。

しかしどの関係・相手においても、「煩わしさを全く感じない」などということはないでしょう。
人間は自分中心です。他者・相手は思う通りにならないものです。よってそこには必ず摩擦が生じ、煩わしさも伴うでしょう。

でもその煩わしさを嫌い、排除していくと結局人間は孤独に陥ってしまうのです。

つまり、「友達」という幻想を抱き過ぎるのでもなく、かと言って「孤独」に逃げるのでもなく、他者と関わることにおいて煩わしさの中にあたたかさも感じられてくるのではないでしょうか。

ゆき様の過去を他者がどう感じるかはわかりません。しかしゆき様自身が受け入れられていないものを他者が受け止めることは難しいようにも感じます。

プロフィールを拝見すると友だちはいないと自覚されていても、それ以外での人間関係をきちんと築いてこられたのではないでしょうか?また、大変ご苦労された縁を精一杯生き抜いて来られたのではないでしょうか?

もっと自信を持ってください。私はゆき様は凄いと思います。

他者が自分をどう思うか、どう言うかは他者の問題です。私にできるのは私が何を思い、何を語り、何を為すかを考え実行することのみです。

なお、私も友だちはとても少ないですよ。

応援しております。

5ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

ご回答、ありがとうございます。
私の友人の定義ですが、「好き合う赤の他人」のようなイメージでいました。
色んなひとが無理なく自然と好き合っているのを目にし、羨ましく寂しく思っていました。

一方通行でも友人と言えるのだと考えた事はありませんでしたので、驚きました。
それならば、たくさんいるかもしれません。

友人と思う人に友人と思われなく、悲しくなってしまう事はよくありました。(むしろそればかり)
その悲しさも、仰る「煩わしさ」のひとつなら、それに負けて孤独に走らず誰かを好き続ければ良い、という事でしょうか?

確かに、伴侶は得ることができました。(他には何もありませんが)
夫との関係をヒントに、アドバイスを頂いたように色んなひとを好き続けたいと思います。

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