想像して疲れる
悩みの参考にするために質問相談サイトを見るのですが、知人の状況に似ている質問(職場の○○な人が嫌い、など)を見つけると「あの人が書いたのかもしれない。自分もこう思われているのかも」と不安になります。
映画監督や歌手が「撮影現場がギスギスしていた」「メンバー間の仲は悪い」と発言したら、どんなに好きだった作品でも、その言葉が浮かんで、楽しめなくなることも。
また、SNSやテレビでの失言・行動でバッシングされている人がいると胸が詰まる思いがします。一つのミスで全てを失う社会の厳しさや、多数の人から攻撃されることへの恐怖感で苦しくなるのです。
叩かれて当然、自業自得、もっと追い詰められろ、という風潮も怖いです。
今ではニュースやバラエティ、音楽、映画、何を見ても疲れるようになりました。
考え過ぎだと自分に言い聞かせています。しかし不意に情報が目に入っただけで、
色々な可能性が頭に浮かんできて考え続けてしまいます。
ツイッターやニュースを見ることを控えてはいますが、
純粋に楽しんでいた趣味でも、知らなければよかったと後悔することが多いです。
自他関係なく「人が嫌われる」という状況に対する恐怖感が強いのですが抑えられません。
興味のあるものをより深く知りたいという思いと、知れば知るほど不安になる自分に疲れてしまいました。これを少しでも治すにはどうすれば良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
情報化が疲れを加速させる
こんばんは。情報化(と、それの集積化)は、利点もあるのでしょうけれど弊害が多いと私は考えています(というか、目立ってきたと思います)。
一日の時間は昔から変わらず、人間は目が良くなった訳でもなく頭のキャパシティが増えた訳でもないのに、入ってくる情報は飛躍的に増えているのでしょう。しかも色々と過去がアーカイブされることで、以前は「忘れられた」ものが「残っている」。
なのでね、今は「情報をキャッチする」よりも「取捨選択する…スルーしたり捨てる」方の能力が必要なんだと思います。
でも暇なときにはネットを見てしまう。
現状、そういう生活スタイルになっている人は多いだろうと思います。
ですのでね、意識的に行うこととしては「デジタルの大量な情報に触れないで、アナログのもの、もっと言えば現物(本物)に触れる機会を増やす」のをお勧めします。「脳みそに見合った量の情報しか触れない」ようにしないと、判断力が働きません。情報過多だと、考える力が麻痺して「分かりやすい」だけが判断の理由になったりします。それこそ商売の思う壺。
ネットとかデジタルの「使いこなし」は、「適量でおさめる=適度にオフにする」ことにあると思います。まぁ、「万事において中道をゆけ」であります。
質問者からのお礼
佐藤良文 様
「でも暇なときにはネットを見てしまう。」
正にその通りで、疲れると分かっているのに、暇があるとつい見てしまいます。
これからはアナログなもの、現物に触れる時間を少しずつ増やしていこうと思います。
あとは運動をする等、とにかくネットの時間を減らしていきます。
趣味も楽しめず、頭の中がまとまらない日々でしたが、回答下さったことで気持ちが軽くなりました。
本当にありがとうございました。