過去の罪とこれから
お酒をのんで失敗を何度も繰り返してしまいました。
父親が飲んで性格が変わるタイプでそれで自分自身も幼少時代から辛い思いを沢山してきました。
なのに自分も同じことをしてしまいます。
お酒を飲むと、わがままになり性に開放的になりお金を沢山使ってしまいます。
そのせいで、この歳ですが貯金もなく少しの借金があります。一晩だけ一緒にいた男性が多く経験人数が多い自分を軽蔑してしまいます。
こんな自分が許せなく大嫌いなのに、何度も同じ過ちを繰り返してしまいました。毎回次の日には死にたくなるほどの後悔をします。
今回大切にしたい人を傷つけてしまい、心から本当に辞めたいと思い、親にも自分の愚行を話しお酒を辞めると誓いました。彼も親も許してくれ、応援すると言ってもらえました。
大切にしたい人を傷つけてしまったこと、自分のしたことを親に話し傷つけてしまったこと忘れてはいけないと思っております。だけど、不安です。自分にできるのか、しなければならないことはわかっておりますが、自分のことが信用出来ません。
また、こんな自分が幸せを掴もうとして良いのかと考えてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無明って悲しいものですね
回答タイトルは、プラユキ・ナラテボーさんというタイ仏教で出家された(元?)日本人のお坊さんに救われ、心の平安を得た後に語られたある女性のお言葉です。
その女性は、お酒好きのお父さんに育てられ、精神的にも肉体的にも虐待を受け、苦しました。タイから日本にときどき戻り、他者の悩みを聞くプラユキさんのもとを訪ね、プラユキさんから手動瞑想を教えられ、その女性は少しずつ過去の呪縛から解放されるようになりました。そして、アルコールに逃げるお父さんの悲しみや辛さ、そのお父さんにおびえそのおびえに常に責めさいなまれていたその女性ご自身の辛さを客観視できるようになられました。そして、人間が持つ根本的な愚かさ(無明)がその人自身とその人の周囲の人々を傷つけずにはおかないという悲しいありようを、ありのままに見られるようになりました。誰が悪いのでもなく、人間なら誰で生まれながらにして持っている無明がそうさせてしまう、ということです。
手動瞑想という言葉は聞きなれないかもしれませが、いまはインターネットの時代ですから簡単に調べていただけるものと思います。手を動かす動作を継続していくなかで自分の姿がリアルに見えてくるようです。こうした実践を、できれば指導者のもとでなさってみることかと思います。プラユキさんともインターネット上で簡単に繋がりをつけることができます。
長い時間をかけて作られた性格や性向ですから簡単に変わっていくことはあまりないと思います。根本にお父さんの問題があるのですから、実はそこに解決の糸口があるはずです。次にご自身やお付き合いなさっている男性のためにも、ご自身を大切に思えるようになっていかれることかと存じます。