妻に、家族に、世の中に対して顔向けできない
2回目の質問となります。しつこくて申し訳ありません。
善行を積み重ねる生き方をしよう。罪悪感から逃げない生き方をしよう。妻のためにできる限りのことをしよう、と決めたのですが、そう思えば思うほど、そんな前向きな、自分が許せないのです。許されてはいけない、笑ってはいけない、生きていてはいけない、と。もうどこへも進めないという気持ちになり苦しいです。生きていく心構えを知りたいです。甘えてますが、助けていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
前回のお悩みと共に拝見しました。
何の慰めにもならないかも知れませんが、その状況ならば90%の男は逃れられないと思いますね。
お相手の女性も罪な事をなさったものです。
しかし、応じてしまったご自分にも、もちろん罪が有ります。
邪婬は仏教でも代表的な罪に数えられます、嘘も同様です。
でも、既に罪悪感で潰されそうな程、貴方は悔いていらっしゃる、後悔はもう充分だと思います。
既に過ぎてしまった事なので取り返しはつきませんが、その罪悪感を抱えたまま、これからの人生、奥様とお子様達のために罪滅ぼしのつもりで生きて行かれては如何でしょうか?
質問者からのお礼
釋様
早速のご回答、ありがとうございました。御礼のご挨拶が遅れて申し訳ありません。後悔はもう十分、など、あたたかいお言葉に、すがりたい気持ちになりました。正直、こうしたお言葉があってなんとか生きることができています。本当に感謝しております。ただ、一方で、頭の中が整理できず混乱も致します。
後悔はもう十分?本当に十分なのだろうか?後悔の念は罰として持ち続けるべきなのではないだろうか?
また、これから「罪滅ぼし」のつもりで、ということについてもどう生きることが罪滅ぼしなのか?私という人間が夫、父親、あるいは社会人として存在し続けていること自体が罪なのに、罪滅ぼしとは矛盾しているのでは?発覚していないだけで、自分のしたことは許されない、と感じるのです。
でも、妻や家族の幸せを壊したくない、なにより自分が一緒にいたいから何事もなかったように平然と生きることに罪を感じます。
ごめんなさい、御礼の投稿のはずがさらなる相談になってしまいました。