私が○○さんの為にしている努力(自分磨き)の方向性。
こんばんは。いつもお世話になっております。
ゆーりです。いつもいつも、質問ばかりで、お礼の返信が出来なくて申し訳ありません。時間を作り必ず、お礼申し上げます。
さて、本日は、自分磨きの方向性について質問させて頂きます。
2ヶ月半くらい前でしょうか?
私は、ここで強くなるにはどうしたらよいか?を質問させて頂きました。ぜひご一読ください。
私は、今、○○さんに思いを伝えるために自分磨きをしています。
持論ですが、自分磨き(自己啓発)というと、ネットなどによく書いてありますように、外見をお金を掛けて変える様な内容をよく目にします。
人は見た目が9割とは、よく言いますがそれでは私は○○さんには届かないのでしょうか?
私には、本当のかっこよさ、強さというものは、内面から滲み出てくる人徳ではないかと思われてなりません。
私は内面を磨きは、辛い道を選ぶ。つまり今できる努力、すべき努力を逃げずにするということだと思います。
私は、今、大学院に向けての受験勉強、教員採用試験の勉強、野球、TOEICの勉強、と四足の草鞋を履いております。
これを乗り越えれば、自分は間違いなく一皮むけると思います。
私は、大学では追試だらけ、野球は(大学から始めたということを差し引いても)下手くそです。
ですから、大学院・教採合格、野球でレギュラー奪取出来たとしたら、間違いなく一生自分を誇れると思います。
また、これらのおかげで、今の自分は、色々な勉強をし、読み物を読み、野球といった努力のおかげで色々な人や物と出会い、内面も、ものすごく成長している気がします。
しかし、これは紛れもなく自分の為でありこの気持ちは相手に届くのでしょうか?
もちろん、自分の為にしている努力ですから、相手に届かないかもしれません。自分のしている自分磨きをしてから・・・○○さんに告白するという事は物凄く遠回りです。
ですが、自分に今、出来る自分磨きというものは他に見つかりません。
漫才師になった時の為に、弱い奴を笑かしてやれるようなコントのネタを磨く、これくらいでしょうか。というのは、冗談にしても・・・
私のしている自分磨きというもの自分磨きと呼べるのでしょうか?
また自分のこれからしていくべき自分磨きというものは、いかなるべきでありましょうか?
お伺いしたいと思います。お手数をおかげしますが、宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
磨くとステップアップは違います。
自分のための努力と、それによって得られた成長が相手に届くかどうかは全く別次元の話です。
あなたのしている自己実現への努力は素晴らしいものですが、それによって得たスキルはそのためだけに行使するのがよろしいかと思います。
何故か。
習得の領域では無限に成長し、無限に吸収でき、ステップアップもします。
磨くということは、そこから余計なものを削り落とすことです。
ステップアップの段階では吸収と成長のみに専念されるのもよろしいかと思います。
身近な人が全く別物の存在になって「すごいでしょ」と凄んできたらどのように思いますか?
未完成でも納得行かなくても挫折しても、貴方があなた自身を卑下したり偽らなければ気持ちは通じます。
無限に吸収し尽くして、そこから余計なものを削ぎ落とすべく磨きをかけていきましょう。お互いに。
共感できる部分が多々あるゆえ、長文のお答えをしてしまいました。
熱意をご尊敬申し上げます。
目的と手段
ユーリ様
告白がミッションならば、、、
いまわらじを履いて活動されていることは、告白される方が望んでいらっしゃることでしょうか?
告白を考えていらっしゃる相手の方は、ユーリ様あるいはお付き合いをしたいと考える男性に何を大事にしてほしいと考えていらっしゃるでしょうか。
告白の前にその部分を聞くコミュニケーションをとってもイイかと思います。
告白がゴールではないと思います。
告白後のより良い関係を望むなら、相手の思いを聴く手間をかけることは決して無駄にはならないと思います。
それにより、試験のクリアの大いなる追い風になる可能性もあります。
モチベーションの維持に、恋愛エネルギーは力を発揮することが多いですが
受験の合否は告白の相手ではなく、自分が責任を負うべきと考えます。
フタを開けたらおじいさんに。
ああ、今日もあなたは○○さんとお話すること無く日は沈んでいくのか。
「オレ、マラソン始めようと思って、ネットで冬物のジャージ探してんだよね。
そしたらオークションでイイのがあってさ、他の奴に買われちまったんだ…こんどは絶対落とすからなー」
(半年後)
…、な、な、夏になっちまった。orz イランヨ冬モノ
たとえば我々和尚は、布教といえど他者のために説くのではありません。
「自らが自らの行を行ずるのみ」なのです。
自分が救われることを、そこで展開するだけ。
「あなたのために」でもない。
その結果自ずから「うん、その通りだ」と思える人が共鳴するだけです。
これが布教の本質です。お釈迦様もどっかの宗教みたく押しつけはありません。
よって恋も布教も相手のために、という押し売り姿勢はアウトです。
それをラーメン屋で喩えましょう。
ラーメン屋は、自分がウマいと思ったラーメンを客に出す。
「自分が自分をやるだけ」です。
ところが、慢心して、オレがおめえのために作ってやってんだ、お前のために、お前のために、お前のために、という姿勢であると確実に上から、押しつけ目線で、恩着せがましい事がお分かりいただけますでしょうか。
してあげたのに、のに、のに、「のにがつくとグチが出る」って、そりゃあいだみつをさんですよ。
それでは「相手の為」ではなく「自分の為」だと思われませんか?(´・ω・`)
彼女のために、なんていう大義名分は捨てたほうがイイです。
「○○ためにこれだけ努力したノニ」という見返りを求める思考図式ですから、もしフラれたら思いっきり傷つくだけです。
それよりも人生の本質は「あなたがあなたの行をやってゆく」だけ。
おそらく、彼女はそんなこと要求していないし、彼女は彼女自身を今も生きておられる。
彼女の存在があるからモチベーションが高まる、というのは分かります。
あなたが陰ながら彼女を振り向かせたいと努力した結果的に、自分の向上につながっていく、という方が自然に彼女に(フラれたとしても)感謝すら湧くのではないでしょうか。
((-_-;)…というより、早くしないと、他のナンパ野郎に持っていかれちゃうの現実なんだよねー、って思っている丹下であった)
うん、あなたなら、…、き、きっと、大丈夫!
たぶん。 ひょっとして。 いつの…日か。 タイトルへ↑
迷いながら進む
ゆーりさん、お久しぶりです。
なごみ庵の浦上です。
あらためて過去の問答を見てみました。スケープゴートやお祖母さんについてなどの話題もありましたが、中心となるのはゆーりさんの自分磨きと、好きな相手への思いですね。
内容に似た部分のあるご質問が続くという事は、ゆーりさん、迷いがあるのではないですか。彼女のために努力をする、けれど努力をしても彼女に届くか分からない。
最初の質問に「自分の今の目標を全力の努力で全て達成し、思いを伝えたいと思います。お付き合い。そんなものできなくてもいいです。少しでも近づいて思いを伝えたいです」と仰っていたじゃないですか。
私が言えるのは「モチベーション、やる気の上げ方」の時と同じく「目的に向き続ける」です。実際に、目的を持ったお陰で成長をしているのですよね。であれば継続しましょう。
「一皮むける」なんて、他の人が評価してくれるものです。
大学時代の努力を一生誇る人より、卒業後も誇れる努力を積み重ねていく人の方が素晴らしいと思います。
ゆーりさん、迷いを持ちながらも、目的に向かって歩み続けて頂くことを念じています。
「磨して鏡となす」
ゆーり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
禅問答の一つに「南嶽磨磚」という有名な問答がございます。
是非、この機会にゆーり様にもこの問答についてお考えを賜れましたらと存じております。
「南嶽磨磚」というのは、唐代における南嶽懐譲禅師とその弟子であった馬祖道一禅師とのやり取りでございます。
『日唯坐禅、因往問曰、在此何為、祖曰、坐禅、何所図、曰図作仏、譲一日将磚一片、於庵前磨、祖曰、磨此何為、岳曰、要作鏡、祖曰、磨磚豈得成鏡、曰、坐禅豈得成仏、祖曰、如何即是、岳曰、如人駕車、車若不行、打車即是、打牛即是、祖於是悟旨於言下、遂印心伝法。』
『日に唯だ坐禅す。因に往いて、問うて曰く、「此に在りて何をか為す。」祖曰く、「坐禅す。」「何の図る所ぞ。」曰く「作仏を図る。」譲一日、磚一片を将って庵前に磨く。祖曰く、「此れを磨いて何をか為さん。」岳曰く、「鏡と作さんことを要す。」祖曰く、「磚を磨して豈に鏡と成すことを得んや。」曰く、「坐禅して豈に成仏することを得んや。」祖曰く、「如何なるか即ち是。」岳曰く、「人の車に駕するが如し。車、若し行かざれば、車を打つこと即ち是か、牛を打つこと即ち是か」と。祖、是に於て旨を言下に悟る、遂に心を印し、法を伝ふ。』
馬祖道一は、南嶽懐譲禅師の下で、唯、坐禅修行に一日中取り組んでいました。
そこへ南嶽懐譲禅師がやって来て馬祖に尋ねます。
南嶽「ここで何をしているのか」
馬祖「坐禅をしています」
南嶽「どうして坐禅をしているのか」
馬祖「仏になる(悟りを開く)ためです」
南嶽は瓦を一片持ってきて庵の前で、一日中、その瓦を磨きます。
馬祖「瓦を磨いて何をなさるのでしょうか」
南嶽「鏡を作ろうとしているのだ」
馬祖「瓦をいくら磨いても鏡にはならないのではないですか」
南嶽「(一日中)坐禅(だけ)をしていて、どうして仏になれるというのか」
馬祖「それはどういうことでしょうか」
南嶽「牛車に乗っている時、車が前へと進まないならば、車を打つのか、牛を打つのか」
この問答にて、馬祖道一は南嶽禅師の言わんとするところの意図を悟られます。やがて、馬祖道一は南嶽禅師の法を嗣がれて、対機説法に優れた高名な禅僧となられました。
さあ、ゆーり様はこの問答をどのように考えられますでしょうか。。
川口英俊 合掌
若い内は何でも挑戦することが大切
ゆーりさん、ワシは若い内は何でも挑戦することは大切なことだと思います。大学院に向けての受験勉強、教員採用試験の勉強、野球、TOEICの勉強、こんなことが出来るのは若い内ですどんどん挑戦しましょう。周りのこことは気にすることはありません。誰が何と言おうとも。
但し、注意点がございます。これを怠ると年を取る度に虚しくなります。
①思いやりを持つこと。あなたの人生はあなたのものです。だとしたら、他の人も同じことを思っています。自分の誇りは他人と比べるものではありません。他人の誇りも傷つけないように接してください。
②いつも「なぜ?」を忘れずに行動しましょう。なぜ大学院に行くのか?なぜ教職員になるのか?なぜ野球を続けるのか?なぜTOEICを受けるのか?なぜ自分磨きをするのか?なぜ自分は生きているのか?なぜ大学院に行けるチャンスがあり、教職員を目指し、野球が出来、TOEICを受けれるほど英語が堪能なのか?などと考えて生活すると面白いですよ。
③何事も止めるのではなく、続けてください。楽しいことよりも苦しく、辛いことの方が人生で多いのです。それに耐えられるのは継続です。目標をもち続けることが大切なのです。例え失敗しても不合格でも目的完徹までは・・・。
④ものの見方を変えてみても面白いと思います。自分に大切なものは学歴とか資格とかではなく、その道に携ることではないでしょうか?携わったことではないでしょうか?学歴や資格はご褒美と思った方が今後、何があっても気が休めることが多いと思いますよ。