hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
2019年のあなたを表す漢字 募集中

死を恐れずに今に集中したいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

先日こちらで死の恐怖について
質問させていただいて
今を大事にして
生きていこうと決めたのですが
電車に乗っていたりして
何もしていない時間ができると
死の恐怖がチラついてしまい
今に集中しきることができません。
どうすれば死を意識しつつも
それを恐れずに今に集中することができるのでしょうか。

また、死そのものを自分には関係のないことだと
遠ざけて考えたり死の恐怖を忘れて生きるのは
人間として生物として間違っているという
私の考えが正しいのかについても
教えていただきたいです。

これは言うまでもないことかもしれませんが
私は死を恐れないのと死の恐怖を忘れるということは
まったく違うことだと思っています。

なにとぞよろしくお願いいたします。

2019年5月18日 12:11

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはあなたの道を求めて

ご相談拝読しました。

死について恐怖するのは自然な反応でしょう。そして死について考える事はとても大事なことです。あなたは間違っていませんよ。

多くの人が死についてはごまかしたり遠ざけたりしがちの中、あなたはこの問いに向き合おうとされています。その姿勢は大事になさってください。

「今を大事にする」としてもそれが一体何のために大事にするのか、つまり「何のために生きる」のか、それはやはり「死」と関連する問いでしょう。

頑張って頑張って生きても死んで終わりでは空しさがこみ上げてきます。

しかしでは、この生の延長を単純に延長するだけならばいつまでも苦しみが繰り返されるだけです。

死への恐怖や、生への疑問を超える道はどこにあるのでしょうか。きっと仏教はそれに応えてくれると思います。

hasunohaにはあなたと同じように若くして死について疑問や恐怖を感じた方の質問や

https://hasunoha.jp/questions/32640

もうすこし専門的な内容も含んだ問答など、死についての考えがこれまでも蓄積されています。上記の質問の他にもカテゴリ「死について」からや検索ワードからも探して読みあさって見てください。

しかしどれだけ考えても死については「わからない」という事実がある意味では究極的な答えです。
だからこそ、一人一人がその全存在をまるごとゆだねていけるような教え・物語・世界観に出会いその道を実践する中にしか道はありません。

あなたにはあなたの道があるでしょう。しかし同時にその道は先人たちが既に開拓してきてくれている道です。その道を尋ねることが賢明でしょう。

私自身は「浄土に往生する」という教えに身を委ねています。それは死後に極楽浄土というような理想世界があるとかないとかいう話ではなく、そういう世界が願われたということ。

浄土は平等で一人一人がありのままに輝く世界です。

そしてその世界が願われたという事で何よりも大事なのは、逆に今はそうなってはいないという現実です。
だからこそ、誰もが心の奥底で本当に願っている世界である浄土にこの身を委ね、そして同時に、浄土に往生すべきものとして今自分がどう生きているのか問われてくる道が開かれてくるのです。
そこに死では終わらない、しかしこの迷いの生のままでもない一本の道が繋がってくるのだと感じます。

2019年5月18日 14:19
{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

「死ぬのが怖い」問答一覧

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る