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煩悩も欲も消さなくていい。

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有り難し有り難し 11

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。

煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。

辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。

また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。
これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。

煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。
別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。

人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。

自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。

そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。
悟ることができて仏になるであろう。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩は自分と他者の悩み苦しみの原因になる

煩悩は、自分や他者の悩み苦しみを増やす種になります。
ですから、煩悩を制御したり消したりする方が、自分や他者の悩み苦しみを減らせるのです。
仏教が目指す悟りとは、煩悩を消すことと直結しているのです。
ところで、悟りには段階があるそうです。
悟りの第一段階では三つの煩悩が消えるそうです。
有身見(無常・無我・苦を悟っていない煩悩)、
疑(真理を受け入れていない煩悩)、
戒禁取(迷信や間違った修行に執着する煩悩)
の三つです。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を消す前に、まずは最初の三つを消す必要があるのです。
とはいえ、最初の三つを消すだけでも、私達には難しいかもしれません。
しかし、ご安心ください。
仏教には、最初の三つを消していない(悟りの第一段階にも達していない)凡夫(ぼんぷ)でも、欲・怒り・怠け・プライドなどを制御するテクニックが説かれています。
悟っていない私達でも、欲・怒り・怠け・プライドを制御して、日常生活の悩み苦しみを減らすことは可能であり、そのコツが仏教にはあります。
犯罪も交通事故も戦争も環境破壊も、欲・怒り・怠け・プライドの制御に失敗したときに起きる確率が上がるでしょう。
ですから、個人レベルでも社会レベルでも、煩悩を制御することや煩悩を消す(悟る)ことは、無意味ではないと思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様

お忙しい中ていねいなご回答をいただき大変感謝申し上げます。
ありがとうございました。

大変申し訳ありませんが、
この世は良いことを増やすと悪いことも増えるという仕組みになっています。
その逆もあります。

例えば、ひとりの老人に、ほんの少し優しく接して感謝されたことも、
多面性を持つために
ほかの常に苦しみを感じ、つい妬んでしまう多くの人々のやっかみを生む場合があります。

現代社会は特にそうなりやすく、
危ないからと歩みをゆるめて一人の方に道を譲るだけでも、
後方で待つ多くの人のイライラを生んでしまうのです。

私は、やっかんだりイライラしてしまった全ての人にも、
自分の善だと思い行動したことを、心からお詫びをし、
相手を敬い、感謝の念を表すように生きています。

「自分と他人の制御する」のではなく、ありのままを受け入れ、優しく包み慈しむゆとりを
作ろうとする自分を、助けていただいている森羅万象にありがたしと念じるだけです。
その行為も煩悩であり欲でございます。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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