私の信仰について
今の現状について私なりに答えを出してみました。家族の新興宗教のせいだと思ってきましたが、私が仏教に興味を持ったのもその新興宗教に対する対策がきっかけでした。
全ては仏縁なのかな。そう思えるようになりました。すべてを否定する。それでは新興宗教と一緒ではないかと。仏教を勉強してきて思えるようになりました。
以前、hasunoha様で浄土真宗から日蓮宗への改宗を考えているということで相談して、その縁で近くの日蓮宗のお寺に行き法話などを聞かせていただいております。
改宗や墓じまいなどの未来のことで暗くなって急がなきゃと焦ってしまっていた自分を見つめ直せました。hasunohaのお坊さま方、ありがとうございます。
前置きが長くなり申し訳ありません。ようやくここで質問に入らせていただきます。私は南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を同時に信仰しているというような状況になっているのですが、この状況は問題ないのでしょうか?
日蓮聖人は南無阿弥陀仏を唱えると地獄に落ちると仰られており、親鸞聖人は念仏をして地獄に落ちても後悔はないと仰られたと歎異抄にありますが、
日蓮聖人や親鸞聖人は今の私の信仰の有り様にどう思われているのかなと思い、不安というか、こんな不安定な信仰をしている人間でいいのかなと思ってしまいます。以上まとまりのない文章ですが、お坊さま型のご意見お伺いさせていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにご縁のあるのはどちらなのかですね
いろんな本を読んでいますので、なかなか読み始めらないのですが、平岡聡『南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経』(新潮新書)という本があります。いまのあなたにピッタリかなと思います。もうお読みになっているかもしれませんが。
私は、浄土真宗本願寺派の僧侶だから、ナマンダブでっせ、と言わなきゃいけないのかもしれません。が、ともに寺生まれ寺育ちで寺の住職とその嫁である私たち夫婦の仲人たちのホンネをたびたび聞かされるうちに、ナマンダブ至上主義にはなれなくなりました。なんやかんやえらそうなこと言っていてもカネかいな、と呆れてしまっています。だから私は自分にしっくりくる浄土真宗を探している途上です。その私があなたにどうせよとは言えません。
世の中には、浄土真宗から日蓮宗系の諸派に転じる人もいれば、その逆の人もいます。どっちかに行って、また戻るケースもあります。どちらが正しいという問題じゃないのが実例より知られます。その人にご縁があった教えがその人にとってよい教えなんです。あなた自身の選択ともいえ、あなたにもともとそなわっているご縁ともいえます。誰がどうこういうことはできません。いうべきでもありません。
あえていわせてもらえば、いまの併存状態のままでも悪いわけじゃないのだから、結論を急がずに、双方のよいところを味わったり、学んでいかれたら如何でしょう。同じ、大乗仏教なんですから。
日蓮聖人は(法華経を否定して)念仏を唱える人は地獄に堕ちると言われたのだと思います。
法華経には阿弥陀仏の救いも書いてありますからね。
ですから安心して両方ともお唱えください。
あるいは、阿弥陀仏の救いを信じて、お題目だけお唱えするのもいいと思いますよ。
特に日蓮宗のお坊さんにはお念仏に対する嫌悪感を抱いている方もおられるかもしれませんから、お坊さんの前ではお題目だけの方がいいかもしれませんね。
南無阿弥陀仏
南無妙法蓮華経
質問者からのお礼
藤岡俊彦様、ありがとうございます。同じ大乗仏教、この言葉に少し肩の荷が下りたような気がいたします。
三宅 聖章様、ありがとうございます。解釈の仕方を示してくださりありがとうございます。
最近つくづくすべてが仏縁なんだなと思えるようになってきました。家族がやっている新興宗教も私を仏様に導くためだったのではないかなと。
こういう事を言うと僧侶様方は快く思われないかもしれませんが、念仏と題目どちらも尊い、正しいものであるように思えます。このような考え方で仏教を学んでいこうと思います。