陰口は駄目なんですか?
私は職場のナンバー2の立場です。
マウンティングが酷い上司が居ます。
とにかく自分の力を誇示したいようで、私は周りの人達にある事ない事言われていたようです。
周りの人は私から離れていきました。
陰口が事実かどうかではなく、権力者には逆らえないと言う事もあると思います。
私はそんな上司に陰口を叩かれ続け、「マウンティングにマウンティングで返しても仕方ない。それに陰口を叩いては同じ穴の狢だ。」と、自分は陰口を叩かず何年もじっと黙って耐えて来ました。
でも、とうとう気持ちが限界になり、過日陰で愚痴をこぼして、上司の陰口を叩いてしまいました。そしてそれからはハッキリと上司と距離を置く事にしました。
周りの人は、今まで私の事を「何も言わないし、何を考えているのか分からない人」と見ていたらしく、上司の言動を苦々しく感じていた方もいて、私の本心を知ると陰で私を応援してくれるようになりました。
そしてその人達との話から、私は上司の更に上の上司に直接「もう耐えられない」と相談しました。
それ以来、私は気持ちが楽になりました。
でも、私は今まで「人の陰口を叩くと幸せになれない。因果応報がある」と考えてきただけに、陰口を叩いて気持ちが落ち着く今の状況をすっきり受け止められません。
職場の雰囲気はトップの二人が不仲なので会話がなく静まり返って最悪ですが、私は落ち着いています。
上司は周りの人とまともに会話も出来ず孤立するようになりました。
私はそれを見て、因果応報だなという気持ちもありながら「明日は我が身だ」と恐ろしい気持ちにもなりました。
驕らず自重しなければと。
今回の経験は私の陰口から事態が大きく動きました。私はあの時陰口を叩かなければ精神的に参っていたかも知れません。
そう考えると、本当に陰口は駄目なのか疑問です。
私の行いは、やはりいけない事なのでしょうか?
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どのみち、縁起の中にいます。
こんばんは。さぞ勇気のいる行動だったでしょうね。いや、上席に訴えたことです。
「因果応報」というと、たいがい「自分が悪いことをすると、悪い結果が生まれる(だから止めておけ)」という意味で取られますが、「善因善果」ともいうのですよ。「良いことをすれば、良い結果が生まれる」ということですね。
つまりこれ、「結果が生じるには、それだけの原因と状況がある」というハードウエア或いは関数の話なのです。良い行動という入力が入るか、悪い行動という入力が入るか、の違いしかないのです。
今回の愚痴が「自分の気分を晴らしたい」だけであれば、大して良い行動にはならなかったでしょう。けれど、結果として「職場全体が改善されていく」可能性を生じていると思うのです。「それは俺も感じる。職場として対処すべきだ」となったから。
貴方の「愚痴」に対して、周りの誰かが「そっか、あいつ酷いよな」と言う結果だけに終わった可能性もあります。当人に告げ口された可能性だってゼロではないでしょう。
つまり、(あなたがコントロールできない)周り がどう反応したか によって、貴方の行動は結果的に評価されるのです。善果が出ているのであれば善因があった。悪果が出ているのであれば悪因があった。「陰口」と一括りにするのではなく、そこから展開して結果が出るのですから、判断は結果からするよりないのです。
そして、あなたの文中にある「驕らず自重しなければ」。自律自戒と思いますが、それに至っているのであれば、あなたの行為が「悪行」であったとは、私には思えません。
質問者からのお礼
佐藤様
有り難いお言葉ありがとうございます。
結果がどうなるか、という所に因果があるという解釈で合っていますか?
善行か悪業かどうかは結果がそれを示すもの。そうですね!気持ちがすっとしました。
上司は最近、なりを潜めていますが、やはり時々は自分の気質なのでしょう、周囲を威嚇する言動がありますが私には向かって来ません。私の部下たちに矛先が行きます。
私は今、基本的に必要以上に上司に関わらない事にしています。
周りも静かです。
上司だけがせわしなく動いています。
私に危害を加えない限り、上司の因果をただ黙って見ている事にしています。
これがこの人の業なのかな?と感じていて、私にはどうする事も出来ないです。