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執着?怨念?

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有り難し有り難し 20

何度も質問させていただいているものです。

主人とは10年以上実質別居状態で、子育てには金銭的には協力的ですが、夫婦としての愛情は消えています。

そんな中、3年ほど前からコンビニの特定の、若いけど丁寧な対応をしてくれる店員さんが私自身の心の拠り所になり、少なくとも20歳は離れているでしょうけれど恋愛感情も抱いてしまっておりました。

しかし普通に買い物をするだけでお釣りを貰いぎわに手を握るとか気安く話しかけるなどの行動をしたわけではなく、一度だけ、1年前に「いつも丁寧にありがとう」とお礼を伝えたことはあり、その時はその店員さんも「特にそうしていたつもりはなかったけど、ありがとうございます。これからも変わらずご利用下さい」と言ってくれ、その後私が店に行っても特に変わらずにいてくれました。

しかしこの半年以上前から様子が変わってきて、私が店に行くと姿を見るなりバックヤードに引っ込んでしまったり、他の店員さんに話して協力をしてもらっているのか直前で代わって私のレジ対応をしないで済むようにしたり、どうしても逃げられなかった時にはコーヒーのカップを叩きつけるように置いたり、あからさまに嫌な態度をされるようになってしまいました。

たまたま私がコーヒーを入れた後に粉が切れたのかマシンがピー!と鳴ったら、キレて配送されてきた牛乳などが入っているカートを蹴飛ばしていることもありました。

ここまであからさまに嫌な態度をされて腹が立つというより、どうしてそうなってしまったのかわからず、悲しく、聞くことも店長さんや本部にクレームを入れることも出来ず(私だとわかるでしょうから)、そんなに嫌な思いをするならその店、その店員さんがいる時間に行かなければいいのですが、完全に執着してしまっているのでしょうか、行くのをやめる方が苦しく感じ、やめられません。

最近では、この苦しい気持ちをその店員さんに知ってほしい、わからせたい
思い知らせたいというような気持ちに捕らわれ、これって怨念なのだろうか?と思っております。

どんなに苦しくても自分から離れるのが最善なのでしょうか。

どうか、御指南をお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

残念ながら

これまでのご相談とあわせて拝読しました。

結論から言えばこの度の恋は失恋という結果だということなのでしょう。その思いが怨みに変わってしまうのは残念に思います。
好意を抱いていた相手への思いが好意が受け入れられないとなると憎悪に変わってしまうのは人間の悲しさです。
その悲しさの原因は自分の都合でしかものごとを考えられないということなのでしょう。

ずっと質問を読ませていただきましたがあなたからその店員さんに恋愛感情が伝わっていたのは明らかでしょう。来店の頻度は分かりませんが、それだけ見つめていればあからさまです。

問題はそれを相手がどう受け取るかです。それはあなたにコントロールできることではなく相手の問題なのです。

失礼ながら申し上げれば、今回のあなたの一連の行動を彼は少し怖く感じられたのではないでしょうか。それで彼も店内で協力を得つつあからさまに拒否の態度に出ているということでしょう。

このまま続けてトラブルになってもいけません。大人の対応で身を引くことをおすすめします。

それから質問の主題とは離れますが、これからもしもあなたがどなたかと結ばれるご縁に恵まれたとしてもご主人との関係がある以上はそれはそれでトラブルの元となってしまいます。

苦しい現実から逃げる先をお求めかもしれませんが、苦しい現実は向き合ってこその根本的解決です。
まず向き合うべき問題があるようにも感じます。おせっかいながら。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お礼をお伝えするのが遅くなり、大変申し訳ありませんでした。

この1週間はなんだか心が燃え尽きたように疲れてしまい、仕事には行き通常より通り働きはしつつも眠気がひどく、なのに家の用事も色々あったり、それぞれ反抗期と思春期な妹姉に悩まされたりと、なかなか落ち着かない
日々を過ごしておりました。
通っている神経科から頂いている薬が変わったことに体がまだ慣れていないせいもあるかとも思いますが。

頂戴したお言葉の数々、私自身も、常識は持ち合わせているつもりですし、自分でもわかっておりました。
そうは言ってもどうしても気持ちの区切りをつけることが出来ずにおり、ご相談させていただき、お言葉を頂戴して背中を押していただいたような感じです。

この1週間は想いを断ち切り、行くのを止めたのですが、この日曜日は本当にれで最後(あちらも辞めてしまうかもしれないので)と思って、行ってしまいましたが、やはり、ご相談に書かせていただいたような状況でした。
でも、久しぶりに、こちらを見てくれました。
これをもって、実際には伝えらないけど、私の中で「さようなら、ありがとう、怖い思いをさせてごめんなさい」と区切りをつけることにしました。

書いてくださったように、これから私が生きていく上で解決すべきことは大きくいくつかそびえ立っています。
今はどうすることも出来ません。
自分というものすらわかりません。
でも姉妹を育て上げるために仕事場では「〇〇さん」、家ではお母さんを演じるかのようになってでもいいから、とにかく頑張って生きていきます。

こんな想いを持つことになったのは本当に偶然、勘違いからでした。
怨念なんて書いてしまいましたが、その方には感謝の気持ちの方がはるかに大きくもっており、それをお伝えすることも怖がられてしまうのが残念です。

これからどうして生きていこう。

すみません。
お礼ではなくまた思考の闇に入ってしまいました。
とにかく前を向いて、頑張って生きていきます。
ありがとうございました。

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