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「貴女が言うな」な言葉に囚われています 

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

はじめて相談させていただきます。
端的に言えば嫁姑問題になります。

姑はスピリチュアルなものを大切にする人です。
特定の宗教を信仰しているわけではないようですが、神、縁、因果、祈りといったものを大切にしているようです。
それ以外の面でいうとフレンドリーで優しく、結婚当初はとても仲良くしていました。

きっかけは、遠方で行われる婚家側の慶事の欠席を申し出たことでした。
理由は幼い子供の体調の心配でしたが、主催者は激怒されました。
姑は完全に主催者側につきました。
そこで姑は今回の欠席は私が独断だと決めつけ、「経済的な嫉妬が原因」などあらぬことをでっちあげ、私の実家の慶事の在り方についてまでケチをつけ始めました。主催者と姑で他にも陰口をたたいていたそうです。
私はそれまで仲良くしてきた姑の言いようにショックを受けました。
欠席のままにすべては終わり、主催者とは何とか和解したものの、私はそこまでの間に怒りも悲しみも混ざった混乱が続いていました。
夫は多くの面で私のことを守ってくれて、距離を置いていいとしてくれました。

しかし距離を置いた姑から来た連絡は、よく分からない自分語りとスピリチュアルな話。
どうやら私の修業だかが足りず、(姑のように)心を穏やかにいればそんなことで傷ついたりしないというようなことが書いてありました。
「私が悪意無く言ったことであなたが傷ついているのは、あなたが悪いのです」と。だから心を入れ替えて気軽にまた(略)とのことでした。

…同じことを当人ではなく、最初からhasunohaで指摘されていたりすればまだ聞けていたのかもしれません。
でも傷つくことを言った本人から心の修業だなんだといわれても、ただの開き直りとしか思えないのです。
私が穏やかにスルーすることが相手の本望だと思うと腹立たしく、相手の望みなんかかなえてやるもんかという気持ちが渦巻いてしまう。
そのためあらゆる媒体でそういった主旨のアドバイスを読んでも、姑の言ったことを先に思い出してしまい、どうしても救われません…

どうしたら乗り越えられるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なるほど、姑さんはそう来ましたか。
これは勝負ですね。
勝負と思いましょう。
どちらが心が穏やかでいられるかという勝負です。
姑さんに何を言われても澄ました顔で心を穏やかに、心の中で「そんなことくらいで私が真っ赤になって取り乱すと思ったら大間違いですよ」と言い返しましょう。
また反対に、あなたの言葉で姑さんが怒ったりしたら、「あら、お母さん心が乱れてますよ(修行が足りませんね)」と澄ました顔で言ってあげましょう。
お母さんは子供のためなら強くなれるのです。
姑さんに負けないようにね。
勝負する覚悟ができたら姑の所に子供とご主人と行ってあげましょうね。
孫に会えないとなると益々姑さんの心が乱れる可能性もありますからね。
あなたは何も悪くありません、自信を持ってくださいね。
あなたの方が心の器が大きいことを意識してくださいね。
応援してますからね。

追記
あなたが何もないように穏やかにいたら、義母は悔しいと思いますよ。それを顔や言葉に出さなくてもね。
反対にあなたが怒ったり悲しんだりしたら、義母は心の中で自分の方が強い、自分の方が正しいと満足感を味わうことでしょう。それこそ図に乗せることになります。それではいけませんよね。
相手の思惑通りと思わせておいて、本当はこちらの思惑通りということです。
肉を切らせて骨を断つ、という諺もありますね。
それに、義母が悪意を持っていようがいまいが、悪い言葉や悪い行動は、悪意の現れですからね。そのような言葉を聞いたり、行いを見たりしたら、「あら、お母さん、そんな悪い言葉を使って、心が乱れているから口に出るのですよ。心は穏やかでいてくださいね。(ニヤリ)」と言ってあげましょう。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

三宅聖章様
回答ありがとうございました。
勝負ですか。想像してみるとちょっとコミカルな姿に思わず笑ってしまいました。
少し和ませていただきました。ありがとうございます。

ただ勝負にならないというか、気が進まない点があります。
それは彼女が今までの発言・行動全てに悪意がないからです。恐らく、発言等から推測するに【悪意を自覚していない】または【自身に悪意がないと信じようとしている】というのが正しいのではないかと思いますが。
私が諸々のことで傷ついていると知っても彼女は「自分が祈っていれば嫁は心を入れ替える。うまくいく」と信じているようです。
自らを善と信じ悪意(の自覚)無く笑顔で傷つけてくる相手。こちらがどんなに不快になっても傷ついても「不快に思う貴女が悪い」と言い、もし何も無い風に装えば謝罪どころか自分の正しさをより信じて図に乗ることは目に見えています。
正直、やはり憂鬱です。

三宅聖章様
再び回答ありがとうございました。

こちらでご相談させていただいているうちに
言われたこと、されたことそのものよりも
「悪気がないということを押し付けられたこと」
「傷ついたことを否定し、私の心の持ち様(私の中の悪意とやら)のせいにされたこと」
が根強く心にひっかかっていることに気づきました。

>義母が悪意を持っていようがいまいが、悪い言葉や悪い行動は、悪意の現れですからね

実際にきた連絡は口調こそ穏やかではあったのですが
【『悪気がないから』と謝罪の言葉を口にするどころか私の心すら否定したこと】
この中にこそ彼女の悪意が現れていたと思えば、ずっと感じていた何とも表現できない激しい嫌悪感に名前がついたような、何か一つ整理することが出来たような心地です。
悪意っていうか、ひょっとしたら煩悩ってこんな形なのかな?とも思いました。

勝負には、やはりまだ自信はありませんが、模索しながら頑張ってみます。
ありがとうございました!

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