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現代を生きるお坊さんにとっての「お茶」とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 25

最近、中国茶のレッスンに通い始め、お茶に関する本を色々と呼んでいます。
茶の歴史の中で、日本におけるお茶は遣唐使が持ち帰ったお茶から始まっています。

そのような歴史的なことはいくつか本を読んで、何となく分かったのですが、、現代におけるお茶と仏教の関係については文献を調べてもあまり分かりません。

現代を生きるお坊さんの中でお茶はどのような位置づけなのでしょうか。
宗派によって何らかの儀式があるようであれば教えてほしいです。
また、そういうことについて記述している文献があれば知りたいです。

お手すきで結構なので、ご回答よろしくお願いいたします。

2019年6月27日 11:17

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

献茶式

仏さまにお茶をお供えする
「献茶式」という儀式が
いろいろな宗派で勤められているようです。

茶道をたしなむお坊さんも多いですね。
茶道の作法と仏教の作法とは
親和性が高いように感じます。

2019年6月27日 15:22
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有り難し
おきもち

和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

誰に対しても分け隔てなくお茶をすすめることは、誰に対しても分け隔てなく接するということに繋がります。
執着や煩悩や利害関係を捨てて人と接することの大切さを忘れないようにしたいですね。
このことを禅語で「喫茶去」と言います。
また、そのように人と接することは「和」に繋がり、人を敬う心が生まれます。そうすると心は清らかになり、落ち着いた境地に至ることができるのです。
このことを「和敬清寂」と言います。
また禅語に「逢茶喫茶、逢飯喫飯」という言葉があります。
これは目の前のことに集中するということです。お茶を飲む時はお茶を飲むことに集中してじっくり味わうことです。他のお茶が飲みたいとか、茶器が幾らするのかとか、他のことにとらわれずに、おもてなしに感謝していただきたいものですね。
お茶に関しては浄土宗の私が知る範囲では特別な作法などはありません。江戸時代には理由は分かりませんが茶道を禁止しているお寺もあったようです。
お茶を飲んだら悟りに至るわけではありませんが、お茶を通して人と和やかに接することは仏道に通じるものがあると思いますよ。

2019年6月27日 13:42
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんをしています。 なかなか良い回答はできませんが、少しで...

質問者からのお礼

>圓常寺 三宅 聖章様

ご回答いただきましてありがとうございます。
禅語の中にお茶が根強く取り込まれているのは興味深いです。
そのころはもっと仏教とお茶と結びつきが強かったのに、
お茶そのものは茶道として別分野に分かれていったのですね。
茶道の原点の考え方と仏道が交わるところをもっとよく知りたいと思いました。。

>林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様

ご回答いただきましてありがとうございます。
献茶式について、各地で色々な形で行われているようでもっと深く調べてみたいと思いました。
少し調べてみると、元々はお供えやお祭りの意味で行われていた行事でもあり、
明治の神仏分離で衰退を防ごうとしたお寺が盛り上げるため(?)行事として取り入れたために盛んになったという説を見ました。
しっかりと調べてはいないので、どこまで本当かは分かりませんが・・本でも借りてこようと思います。

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

禅の心

以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

坊主と乞食はどう違いますか?

挑発的なタイトルで申し訳ありません。もっとマイルドにしたかったのですが、字数の関係でできませんでした。決してお坊さんを馬鹿にしてやろうとか、悪口を言ってやろうとかいう気持ちはありません。むしろ日々尊敬しております。なのでそこの所をご理解いただけたら幸いです。 本題に入ります。 まことに、大変失礼な質問だとは思いましたが、心の中にふと思い浮かんでしまいました。 仏教書を読んでいたら、「仏教の出家者は一切の生産活動を放棄して修行に専念しなければならないので、一般の人たちからお布施をもらわないと食べていけません。」とありました。 その部分を読んだ時に浮かんだことは、「お布施をすることによって、お布施をした人にはなんのリターンがない。これでは乞食に施しをするのと同じでないか?」ということです。 もちろん、お布施をすることによって功徳が積める、物惜しみに打ち勝つことができるというのは分かっているのですが、現代人にそんなことを言ってもそれが何だよ?と鼻で笑われるでしょう。もし私が誰かに「坊主と乞食って何が違うの?笑」と聞かれたら私はなんと答えればいいのでしょうか? ちなみに身近なお坊様(そこそこ名のある立派な人です)にこの質問をしたら「違わないんじゃね?」とのことでした。ハスノハのお坊様方はどうお答えになりますか? 大変罰当たりな質問だと思います。このことで私の身に不幸が起こったら甘んじて受けるつもりです。しかし、後学のためになんとかお答えしていただければ幸いです。

有り難し有り難し 59
回答数回答 3

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