現代を生きるお坊さんにとっての「お茶」とは
最近、中国茶のレッスンに通い始め、お茶に関する本を色々と呼んでいます。
茶の歴史の中で、日本におけるお茶は遣唐使が持ち帰ったお茶から始まっています。
そのような歴史的なことはいくつか本を読んで、何となく分かったのですが、、現代におけるお茶と仏教の関係については文献を調べてもあまり分かりません。
現代を生きるお坊さんの中でお茶はどのような位置づけなのでしょうか。
宗派によって何らかの儀式があるようであれば教えてほしいです。
また、そういうことについて記述している文献があれば知りたいです。
お手すきで結構なので、ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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献茶式
仏さまにお茶をお供えする
「献茶式」という儀式が
いろいろな宗派で勤められているようです。
茶道をたしなむお坊さんも多いですね。
茶道の作法と仏教の作法とは
親和性が高いように感じます。
誰に対しても分け隔てなくお茶をすすめることは、誰に対しても分け隔てなく接するということに繋がります。
執着や煩悩や利害関係を捨てて人と接することの大切さを忘れないようにしたいですね。
このことを禅語で「喫茶去」と言います。
また、そのように人と接することは「和」に繋がり、人を敬う心が生まれます。そうすると心は清らかになり、落ち着いた境地に至ることができるのです。
このことを「和敬清寂」と言います。
また禅語に「逢茶喫茶、逢飯喫飯」という言葉があります。
これは目の前のことに集中するということです。お茶を飲む時はお茶を飲むことに集中してじっくり味わうことです。他のお茶が飲みたいとか、茶器が幾らするのかとか、他のことにとらわれずに、おもてなしに感謝していただきたいものですね。
お茶に関しては浄土宗の私が知る範囲では特別な作法などはありません。江戸時代には理由は分かりませんが茶道を禁止しているお寺もあったようです。
お茶を飲んだら悟りに至るわけではありませんが、お茶を通して人と和やかに接することは仏道に通じるものがあると思いますよ。
質問者からのお礼
>圓常寺 三宅 聖章様
ご回答いただきましてありがとうございます。
禅語の中にお茶が根強く取り込まれているのは興味深いです。
そのころはもっと仏教とお茶と結びつきが強かったのに、
お茶そのものは茶道として別分野に分かれていったのですね。
茶道の原点の考え方と仏道が交わるところをもっとよく知りたいと思いました。。
>林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様
ご回答いただきましてありがとうございます。
献茶式について、各地で色々な形で行われているようでもっと深く調べてみたいと思いました。
少し調べてみると、元々はお供えやお祭りの意味で行われていた行事でもあり、
明治の神仏分離で衰退を防ごうとしたお寺が盛り上げるため(?)行事として取り入れたために盛んになったという説を見ました。
しっかりと調べてはいないので、どこまで本当かは分かりませんが・・本でも借りてこようと思います。