過去の後悔に縛られてしまいます
回答をぜひお願い致します。
後悔で苦しんでます。
私には将来の夢があります。
あと一歩で叶いそうです。
しかし、この踏ん張り時に、過去に行ってしまったことを後悔してしまいます。
それは一日だけ、研修という形でお水のバイトをしたことです。(いわゆるママという方がいるお店です。)
生活費を稼ぐため、作法などを身につける為など考えて、安易な気持ちで研修を受けました。
実際にスタッフの方々も優しく働きやすい場所でした。
しかし、夜の仕事の不安がやはり大きかったこと、下ネタの会話もちらほらあったことなどから、一日目でやめさせていただきました。(お店側には大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。)
いくら働きやすい場所とはいえ、私が目指している夢はお堅い職業と呼ばれるものであるため、周りからはあまり好ましく思われないアルバイトであることを、世間知らずの私はちゃんと考えていませんでした。
当時の無知で馬鹿な自分をひっぱたきたいです。
ただ、お客様の話し相手をして、お酒を作ってという内容だけだったのに、私の感覚では体が穢れてしまったように思ってしまうのです。
罪悪感に似たような、穢れを背負ってる感覚にも似たようなもやもやがあり、このような穢れを背負った自分は夢を追いかけてはいけないのではと考えてしまうのです。
もやもやした気持ちがない、すっきりした気持ちで夢を叶えたいです。
でもそれは私の自己中な願望であり、周りの人たちはもし私が穢れていることを知ったら、そんなことを望まないのではないかと考えてしまいます。
いえ、実際に思われてしまうのが、私が目指している職業です。
私は自分の夢を目指してはいけない人間でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分に向かないと気付いたらすぐやめたのは賢明
何でもやってみないと分かりませんから、お水系のバイトもやってみないと向くかどうかも分からなかったわけですね。やってみて向かないと分かったからグズグズせずにすぐおやめになったあなたは賢明な方です。一日だけアルバイトしてそれが罪や穢れになるなら誰もこの世で生きていける人はいません。今でも学長かどうか分かりませんが、法政大学の田中優子先生は学費を稼ぐため夜のバイトをなさっていたとおっしゃっていると記憶します。要は気になさらないことです。
私自身は、京都のお坊さん系大学に行かしてもらっていた時、祇園という歓楽街のお店のオーナーからアルバイトに来てほしいと言われたことがありました。行きたいと思いましたが、先輩に相談すると、夜が遅いので学校に行けんようになると御助言をいただき、お断りました。そのバイトをしてみたい気持ちもありましたが、やっぱり自分には向いていなかったと思います。ご縁がなくて正解でした。
ただ、いろんなことを経験するのは決して無駄じゃなく、人生のなかで貴重な体験であるとも思います。たとえ一日でも貴重な経験をなさったことは、あなたの将来にきっと役に立つはずです。まちがっても悔やむことじゃありません。ご心配なく。
質問者からのお礼
お礼文が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
ご回答本当にありがとうございました。
質問した当時の自分は、物事を常にマイナスに捉えがちで、深く考え過ぎていた時期でもありました。
しかし、藤岡様からのご回答もあり、自分の人生経験の一つとして、とても貴重な体験をさせていただいていたのだと、今ならわかります。
研修だけだったけど、そのバイトでお世話になった先輩方は一生懸命お仕事をされていて、そういった姿は本当にかっこよかったです。
現在、希望していたところで働いていますが、そのバイト先の先輩方のように、一生懸命働いて行こうと決めています。
藤岡様の励ましのお言葉をはじめ、そのバイトでの経験など、様々な経験を経て、以前よりもずっと前向きな自分がいます。
本当にありがとうございました!