仏壇について
両親は私が9歳の時に離婚。私と妹は母と暮らして来ました。父は後も独身で、一人で亡くなりました。優しい父でした。お金も残してくれてました。亡父の仏壇は父の実家に立派な仏壇が有ります。私は気持ちとして小さな仏壇を構えお参りしてます。ちゃんとした供養は独身の時に数回母とお坊様に家に来て貰いお参りしました。結婚し今も私がその小さな仏壇を家に構えお参りしてます。近々引っ越しでお参りの気持ちは変わりませんが、小さな仏壇は母と妹に預け、引っ越し先では、写真に迎いお参りを続けたいと思ってます。父への感謝の思いやご先祖様への感謝、この世に生かされていることへの感謝の思いは何も変わりません。
しかし、小さな仏壇、魂が入ってるとか何もわかりません。母に託して良いのでしょうか?
お墓は父のお金で作りそのお墓の建立者は父の亡った実家の兄様と私、妹の名前だけ入ってます。年に1回程度はお墓参りに行ってます。仏教信仰など何もわかりませんがこのようなことで良いのでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
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仏壇とはどういう場所か
ご相談拝読しました。
信仰の在り方や供養の形についてのご相談ですね。「こうすればこうなる、こうだからこうしなきゃ」という一朝一夕の問題ではありませんからゆっくり考えていきましょう。
一番よろしいのは数回お参りに来ていただいたお坊様や、現在お付き合いのあるお寺があるのならそちらにご相談なさることだと思います。そうしたことがなければhasunohaを通して考えていきましょう。
仏教は「仏様の教え」あるいは「仏様に成る教え」であり「先祖教」ではありません。ですから本来は仏壇は「先祖供養檀」ではなく「仏様の世界の象徴」です。
仏様とは真理に目覚め生死を超えた存在です。生まれたからには必ず老い、病み、死んでいく命を生きている私たちがどうしたら苦を超えていけるのかを明らかにされた方です。
しかし中々私たちは仏様の教えを聞きたいとか、仏様になりたいなどとは思えません。自らもいつか必ず死ぬ身であるのに、そこには思いが至らないものです。
その私たちに死の事実をとおして仏様の教えを聞くご縁を与えてくださるのが先祖や身近な人たちの存在です。
必ずこうして死んでいく命をあなたはどう生きるのか?何があなたの本当の幸せなのか?
亡き人は私たちにそう問いかけてくださっているのではないでしょうか。その問いが明らかにならない限りはご先祖様への感謝も自分の命の意味も明らかになってこないのではないでしょうか。
なぜ生まれたことが尊いのか。必ず死ぬのになぜ生きるのか。死んだらどうなるのか。
そうした問いを私たちはごまかし見ないようにして生きていきます。その目をその問いに真向いにさせてくれるのが身近な人の死です。
供養とは「捧げる」の意味ですが、本来は亡き人への捧げではなく、仏様への捧げです。しかし対象が仏様でも亡き人であっても、お供え物や真心などを捧げることができるのは、こちらが捧げる以前に仏様や亡き人がいてくれたからです。向こうが用意してくださった場が供養の場なのですね。
つまりお仏壇という場所はこちらが祈りや願いを捧げる場ではなく、亡き人や仏様の願いを聞き尋ねていく場ということです。
どうしたらそのような場になるか。そこを考えてお母様とご相談なさってみては?最近は壁掛けタイプのご本尊もあります。形にとらわれる必要はありませんがやはり形は大事。何はなくともご本尊を是非。
質問者からのお礼
ご丁寧なお話を聞けてありがとうございました。このような相談の場に出会えて幸せです。今回のお話をよく考えたいと思います。本当にありがとうございました。