お金と今後と姑と
お世話になっております。同居の姑が軽く言った「(お金が)足りなくなったらちょうだい」の言葉がとても引っかかってしまっています。
以前の相談とほぼ重なってしまい恐縮なのですが、やはり納得がいかないのですね。
私と夫、娘、姑、その父の大舅で暮らしており、舅は他界。
亡くなってから税金の滞納が発覚し、結婚したばかりの私が元金を立て替えました。
お金については、年金暮らしの姑と大舅からはおそらく戻らない物と思っていますし、同じ家に住んでいますので自分の世帯の為でもあります。私たち夫婦も働いており、家事を姑に任せていますので諸々お互い様だろうと思って出しました。
しかし、現在第二子を妊娠中、家そのものも今後修繕が必要だろうし、自分たちの老後に子供に迷惑を掛けたくない等々物入りになるのは必須です。
そこに上記の発言で、正直図々しいと感じています。
姑は動物が大好きで、私が元金を立て替えた後に大型犬を購入しました。私は犬自体は好きですが、経済的に飼いたくはないと思っています。
これまで、「毛が気になる人が掃除して」、「(自分は)孫に何も買ってやれない哀れなおばあさん」「忙しい(散歩に一日2時間はかかります)」「うちは光熱費がすごい(犬の為に丸一日エアコン。私たち夫婦は仕事なので日中不在)」等の発言にモヤモヤしています。
姑にとって犬が社会との接点ですし、高齢の大舅の世話の癒しであることもわかります。
生き物なので、病気や怪我でお金が必要な時に助けないのも良心が痛みますが同時に理不尽です。
飼いたいのは自分なのだから、その分は稼げばいいのに。
私が自分で稼いだお金を一番使いたいのは我が子なのに…と。
実の親が何とか私たち実子に負担の無いようにと終活をしている姿を傍目に、血の繋がりのない嫁によく…と呆れてしまいました。
私の感覚で近いのが、「生活保護の方が娯楽の為にお金を借りる状態」です。
大切な夫、のお母様ですから邪険にはしたくありませんが、妊娠中の不安定もありこのまま不満を抱えていると爆発してしまいそうです。
犬は悪くないんですが、犬がいなければ…とか、お金のことばかり…と嫌になります。
心が軽くなるお知恵をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
家族みんなのペットだと思って
これまでのお尋ねと回答を読んでいませんので的外れなことを申すかもしれません。そうなってしまったらお許し下さい。
たぶん姑さんもあなたにお金のことをおっしゃるのは辛いことだと思うんです。そのうえで、大げさにいうと、恥を忍んで頼んでおられるのでしょう(お人柄によってはそうではないかもしれません)。だから、その点をくんであげてもよいのかもしれません。
また、お子さんが成長なさるなかでペットがいる方がよい子供に育つということはいえると思います。そういう点で、家族みんなのペットだと思うこともできます。
同居ということになると、お寺は一般家庭よりは同居の割合が高いです。だから、少しずつ我慢して家庭生活を送っているのがお寺です。私のところもそうですから、あなたのお気持ちは実はよく分かるところがあります。
ある程度は目をつぶって、まぁ、いいか、みたいに思っていないと同居はしんどいです。あなた自身を楽にするためにも、小さなことは考えない方が得策です。また面白くないことがあったらどんどんお尋ねを送ってください。
ご返信の後、追記
おっしゃるとおりかもしれません。もっとよく考えてみます。時間をください。
第2信
今までの問答を少しだけ読ませていただきました。継続的に苦しんでおられること、ずっと人間らしい優しい気持ちや、姑さんの立場を慮る他者の立場に立つことのできる立派な精神をお持ちであることを知りました。なんて偉い人なんでしょう。そしてずっと耐えておられることに敬意を表したいです。
でも、人間ですから耐えるばかりではなく、ときとしてご自身の思いをありのままに表現なさることも必要だと思います。相手を立てるだけでは家族は成り立ちません。ときとして感情をぶつけることにより家族としての形が進化するというか、深まっていくというか、そんなふうに思います。じゃなきゃ、もちませんよ。
質問者からのお礼
藤岡様、ご回答ありがとうございます。
全てが小さなことと思えたらどんなに楽でしょう。残念ながら自分の狭量さをすぐには受け入れられません。その苦しみに向き合う生き方、考え方を知りたいと思いました。
藤岡様、度々のご回答ありがとうございます。
直接思いをぶつけるのは躊躇われますので、せめて溜め込まないようにとハスノハに縋ることで救われております。
そして、人間らしい優しさがあると言って頂いたことに安堵致しました。自分は冷たいのかなと苦しむことが多く、単純に「そんなことないよ」と言われたかったのかもしれません。
私の苦しみに寄り添って頂き感謝致します。