ネコババしなかったことを後悔
先日、お財布をデパートのトイレで拾いました。
中には200万円が束で入っていました。ビックリして、デパートのインフォメーションに届けたのですが、その時、落とし主にお礼を請求しますか?と言われて、届けただけだし結構です。と答え、私の名前など一切明かさずに帰りました。
その時は良いことをしたと思ったのですが
後で、友人にその事を伝えると
ネコババしてもわからなかったのに、
それは神様が貴方に与えたご褒美なのに、
デパートの高級ブランド階のトイレに大金を忘れた、ということは
その持ち主はお金持ちに違いないし、余裕がある人なんだから
貰ったって問題ない
と言われて、気持ちが揺らいでしまいました。
確かに、お財布を拾ったのは
誰もいないトイレの個室だし
私だって、そんなに裕福じゃないし
その200万円をありがたく家計に入れれば
あれやこれやの支払いが楽になったかも
と、今、思ってしまう自分がいます。
また、友人は
人知れず良いことをしたり
悪いことをしたりしても
それが誰にもばれなければ
因果応報にさえ、なり得ないじゃない。と言います。
なんか違う、それ違う、と思いつつも、友人を説得することはできませんでした。
あのとき、ネコババせずにお財布をとどけた自分は間違ってないと思いますが
神様がくれたご褒美、
裕福な人はそうでない人に与えるべき
ばれなければ因果は生まれない
という
友人の発想があまりにも斬新で
ネコババしても、よかったのか?と
後悔する自分すらいて、我ながらとても情けなく、戸惑っています。
落とし物の届け主として
名乗り出なかった以上、
持ち主から直接誉められたり感謝されたりすることもないのなら
このまま自分の懐にいれて
自分の家族のために使っても
良かったのかも知れない、と思うのは
仏教としてどのようなお説教を受けることになるのでしょうか。
倫理的に間違っているとはわかっています。
ただ、神様がくれたご褒美
という友人の考え方があまりにも衝撃的すぎて
自分の価値観、倫理観が揺らいでいます。
不快に思われることは百も承知なのですが
人知れず良いことをしたり
悪いことをしたりしても
それがばれなければ、因縁は生まれない、というのは
本当でしょうか。
自分の年齢に焦ってしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その友達の発想は絶対悪です。
盗みは
仏教の五悪の一つです。
誰にバレなくても
己自身が分かっています。
一時的に経済的に楽になっても
一生後悔の念に取りつかれることでしょう。
それに悪事って
バレないと思うから
する人が絶えないのでしょう。
でも結局バレてしまって
罰を受ける人の何と多いことか!
それこそが因果応報ですよ。
誰かの不幸の上に成り立つようなご褒美を
神さま仏さまが与えて下さることはありませんよ。
自業自得
ご相談拝読しました。
「ばれなければ因果は生まれない 」
ということはありません。
持ち主にはあなたが届けたことも、あなたがこうして色々思っていることもバレて(知られて)いませんが、こうしてものすごく影響を受けているでしょう?
自業自得の原則です。誰かにバレたり知られなくとも、人は
・自らの為した事
・自らの語った事
・自らの思った事
に影響を受けて規定されていくのです。自分の在り方が作られていくのですね。
「バレたらどうしよう?」とか「あんなことした私が幸せになっていいのか?」とか「いつか何かバチが当たるんじゃないか」とか、そのような相談はhasunohaにも多数寄せられます。
その質問にはこう答えます。
実際にそういう悪い境遇や誰かからの制裁などが与えられるというわけではなく、自らの心に影響を及ぼすのです…あなたが今感じている心の苦しみが証拠ですよと。
現にあなたも実際にしてはいなくとも、ネコババしたらよかったと思っただけで今こうして心に影響を受けているでしょう?
地位や名誉や金銭的な面などに恵まれたとしても、心にいつも不安や恐れや欺瞞を抱えているならば、それはけして幸せな状態ではありません。
マーラの誘惑
書きたいこと・書くべきことは他の回答者さまがたがすでに書いて下さっていますので変化球から回答します。
その200万円はたしかに神様からの贈り物になり得たかもしれません。しかし、その神は、悪の神です。それを仏教では『マーラ』と呼びます。そしてご友人の言葉こそ、他ならぬマーラの考え方や生き方そのものです。
心の中で念じましょう。「マーラ(悪魔)よ、去れ!」と。
そうすればあなたの為した事、語った事、思った事は『悪い誘惑に打ち勝った事』になります。200万円を喜捨したことで得られた善い因果です。
質問者からのお礼
丁寧な回答をありがとうございました。
どのお坊様がおっしゃることも、確かに!と納得いくものです。
ただ、心のどこかで、私は損をしたのではないかと思ってしまう。
そんな日々を過ごしておりました。
ですが、先日、息子がスポーツで大きな成績を収めることがありまして、
心から嬉しいと思った時のこと。
あのとき、ネコババしなくて良かった、とふと思ったのです。
あのとき、もしもネコババしていたら、
今の息子の好成績を心から喜べなかったのではないか、と思ったのです。
もし、ネコババがばれたら息子はどんな顔をするだろう、などといった不安や
自分を恥じる気持ち、後ろめたい気持ちは
家族の幸せを喜ぶ気持ちに水を差すものなのだと
初めて気づきました。
あのとき、ネコババをしなくてよかった。
息子の頑張りと、私のネコババとの葛藤は関係ないものですが
結果としてこんなふうにつながってくるんだなぁと
知りました。
表現が下手でごめんなさい。
うまく伝えられないのですが
お坊様たちがおっしゃったとおりです。
因果は自分で作り出すものですね。
目が覚めました。
ありがとうございました。