今自分に余裕がなく、気持ちも一杯一杯
はじめまして。
さつきと申します。
今自分に余裕がなく、気持ちも一杯一杯で感情のままになり、また内容が分かりにくく、大変ご迷惑お掛け致しますがもしよろしければ、回答頂ければ幸いです。
すみませんが、よろしくお願い致します。
【要点】
私は以前、中絶をしました。
悪さをした時期もあり、迷惑かけた人もたくさんいますが、自分の為より人の為に生きてきたつもりです。
なのに自分では支えきれないほどの罪を負わなければならないのでしょうか?反省、後悔、憎しみ、苛立ち、の繰り返しで、気持ちの整理ができず、葛藤しています。
人の為に生きればきっといいことがあると信じて生きてきてしまったのに絶望しています。
腑に落ちる答えがなく、人のために生きるなんで信じれずでも信じないと生きて行けない・・・そんな人生歩みたくない・・・でも・・・
とすごく葛藤していてなかなかこの闇から脱することができません。
また人を恨んでしまいます。
・恨むなら「世のため、人のため」に生きるなんて間違いなのでしょうか?
・そもそも「世のため、人のため」に生きるなんて間違いなのでしょうか?
・それとも人生は、すべては仏様からのメッセージでしょうか?
他何かアドバイス等がございましたら、お忙しい中申し訳ございませんが、御回答の程よろしくお願いします。
【詳細】
私は昔から、自信がなかったからか人の目を気にする傾向がありました。
その為か目立ちたかったのか、欲深かったのか・・・
すごく派手な格好をしたり、威嚇するように悪いこともたくさんしてしいました。
(いい格好したり、自分を偽ったり、夜のお仕事の体験を少ししたり、友達と一緒になって自転車を少し借りて捕まったり、お臍にピアスをあけたり、大学でも毎日遊んで騒いでいたり・・・)
そのことは今となっては恥ずかしいし、ご迷惑お掛けした人には申し訳ないとは思います。
でもその反面、昔から、「世のため人のために」という教えの宗教のようなところに、4歳頃から話を聞きに行っていたので、自分のことよりも人のことを優先して生きたつもりです。(身内以外)
世の為まではいかなくても、「人のために」と私の中では常に考えて生きてきたつもりです。
子供ができてしまたのも、度々あやまった行為をした訳ではなく、当時の彼の誕生日のお祝いをするつもりでいたのに、財布が盗まれてしまいお祝いが出来なかったので、かわいそうだし申し訳なく・・(言い訳なのはわかります)
でも、もう怒りに狂ってしまいそうです。
中絶をした病院の先生は、「一度供養をしたら後は、一日も早く忘れて下さい」とのことだったので3回供養をしたのでその後は忘れるようにしていました。
が忘れれるわけもなく、友達の子供が大きくなるに連れ罪悪感、一生の親が子供を殺すという、一番してはいけない罪に襲わて人間として失格だし、毎日涙しての繰り返しです。
本当に申し訳なかったと思います。
でも自分で言うのはおかしいですが、人の為に生きてしたつもりです。
なのに何故、自己中の人じゃなくわたしなの?!!
我が子を人を殺したという、深ーーい闇の黒いものにものに襲われ苦しみ涙する半面、子供に本当申し訳なく思い涙する反面、何故もっともっと人を踏みにじって悪いことをする人、人の気持ちを理解せず自分だけ良ければいいという自己中な人ではなく私なの?!!
神様仏様がいるなら私にこんな重く重く一緒に沈んでしまいそうな罪を私に背負わせたの?!!
神様、仏様にそんなこと言ったらダメなのは重々承知ですが、どうしてもこの気持ちが整理できず、人のために生きるのがあほらしくまた怒り狂いそうな出口の見えない闇からなかなら出ることができません。(腑に落ちない)
もう自分で自分がコントロール出来きず、またやるせない気持ちで生きる気力も次第になくなってきています。
世のため、人の為に生きるというのは間違いでしょうか?
自己中にはなりたくないのでが、苦しむ人のところに苦労が集中するならもうやってられません!!こりごりです!!
また自分が人の為にすることによって、人の為にしない人(自己中な人)に腹が立つし、人を振り回してケロッとしている人、人の痛みがわからない人、平気で人を傷つけるような人・・・そんな人を見ると人一倍腹が立ってしまいます。
生き方が間違えていたの?
私が悪いことを昔したから罰があたっているのでしょうか?
神様仏様は何かご計画がおありなのでしょうか?
もうどのようにして生きて行けばいいかわからず、そのことばかり考えていたらノイローゼのようになり頭が働かずおかしくなってきています。人に迷惑かけないようにと外では明るくするので人生がおかしくなってきています。
頭の中だけで生き、人生がとまっているようです。どうしていいかわかりません。完全に受け入れようとすると、吐きそうな暗くて恐ろしい闇に飲まれそうです。
子供のためにと頑張って頑張っても、もうくたくただし終わりのない罪に苛立ちを感じ、また責めすぎて毎日気分が悪く吐きそで、もう限界に達しています。
自分の気持ちが整理できず、この感情を抑えきれないまま感情的に記載し申し訳ございません。
そして長々と申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
宝物
さつきさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。
同様の質問がありますが、より心からの叫びであるように感じたこちらの問いにお返事させて頂きます。
さつきさんは、以前に中絶した子どものことで悩み苦しみ、またご自身は人の為に生きているのに、そうでない人より苦しみを多く与えられているようで不公平感を感じていらっしゃるということでしょうか。
ひとつ申し上げたいことがあります。
「人の為」つまり人偏に為と書いて「偽」という字になります。
私は「人の為」なんて言葉は「偽り」だと思っています。
真の意味で「世の為、人の為」ということは有り得ないのではないかとも思っています。
どんなに素晴らしい聖者であっても、自分を全くの無にすることは出来ないのではないでしょうか。
厳しい言い方になりますが、さつきさんも「人の為に生きている、だから報われたい」という思いがどこかにあるから、葛藤し、絶望し、恨み、怒ってしまうのではないでしょうか。
私自身も、僧侶として人の為になるよう生きたいと思っています。でも心の奥底に、「人の為に生きているのだから、もっと認められたい、素晴らしいと思われたい」というドロドロした願望が渦巻いています。
ただ、私は浄土真宗という教えに出逢っていますので、そんな愚かで醜い自分でも、そのまま生かされていくしかないのだと覚悟をしています。
もうひとつ。
お世話になった病院の先生は、間違ったことを言いました。それは「1日も早く忘れて下さい」という言葉です。さつきさんを思っての言葉ですから悪気はありません。でもさつきさんは、この言葉によって「供養をして忘れなきゃ」と思ってしまったのではないですか。
忘れてしまう人、悪いとも思わない人も世の中に大勢いるでしょう。そんな中、我が子を殺してしまったのだと苦しみ続けるさつきさんを、私は素晴らしいと思います。お辛いでしょうが、その苦しみを忘れてしまってはいけないのです。
神さま仏さまは罰を与えたりしません。
計画を立ててさつきさんを苦しめているのでもありません。
どんなに苦しくても、さつきさんご自身の人生を受けとめて生きていくしかないのではないでしょうか。その苦しみは、さつきさんを育てていく宝物だと、私は思います。
追伸
これからも迷い悩むことがあるかと思いますが、そのほんの一助にでもなれば幸いです。
「水子供養」と「自利・利他」について
さつき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
水子供養に関することにつきましては、下記の二つの問いにても扱わせて頂いておりますが、忘れる必要はありませんし、これからも御供養される中で、水子さんのことをお地蔵様に御任せを致して、将来、結婚、妊娠ご出産のお子様に対して、その水子さんにしてあげれなかったこと、できなかったことを二人分して差し上げて頂けましたらと存じております。もちろん、他の方のお子様たちへでも構いません。それよりも、あまりにも苦しみ続けることは、水子さんにとりましても良くないことだと少しでもご理解を頂けましたら有り難くに存じます。
問い「宗旨変えについて」
http://hasunoha.jp/questions/291
問い「娘の死、その後」
http://hasunoha.jp/questions/280
「人のために」とのお考え、誠に大切なことでございます。私たちは、様々な関係性の世界の中における支え合い、助け合い、分かち合いにおいて過ごすことのできる存在であり、利己主義・自己中心主義・自己満足主義では成り立たないものでございます。
仏教では、「自利・利他」と申しますが、あまりに自分のことばかりでもいけないですし、かといって、他のことばかりでもいけないという「中道」を勧めることになります。相手も幸せとなり、自分も幸せになるというバランスが求められます。
また、仏教における「他のため」というのは、分け隔てなく、あらゆる全ての他の者たちのためにとして、平等に、慈しみを向けて行うことが大切となります。
非常に難しいことではございますが、全てのものたちの迷い苦しみが無くなりますようにとしての「利他」が望まれることになります。
更には、問い「仏教における徳積みとは?」( http://hasunoha.jp/questions/119 ) にて述べましたように、三輪清浄としての見返りを求めることなく行うことも必要となります。
仏教では善因善果、悪因悪果の法則を重視します。もちろん、すぐに結果は出ないかもしれませんが、できる限り悪いことを成さずに善い行いに努め励むこと、これが仏教の基本となります。
是非共に頑張って善い行いに努めて参りましょう。必ずや変われるかと存じております。
川口英俊 合掌
大切なこと
さつき様
開運寺の秋山現信です。
忘れることは、必要でありますが、忘れるわけありません、と言うか忘れてはいけないのでしょうか?思い続けることによって、新しく生まれてくることもあります。人間は動物。忘れる生き物です。しかしながら、仏の教えに、恩をを忘れるのは、畜生にも劣る。(畜生とは犬や猫その他の動物)
たくさん生きていれば、つらいことがたくさんあります。でもそれは自分にとっての勉強です。人間は一生が修行とたかれています。しかしながら難しい問題です。人を変えるのは不可能に近い。まず最初に自分が変わる。仏教のキーワード。笑顔。とにかくつらくても、自分が回りに対して何時も笑顔でいれば、かならず変わるはずです。
質問者からのお礼
浦上様
早々お返事を頂いていたのに、遅くなり申し訳ございません。
また内容のまとまっていない長文を読んで下さり、気持ちを察し、理解して下さりありがとうございます。
浦上様のおっしゃる通り「人の為に生きている、だから報われたい」と言う気持ちがありました。そしてそれがいつの間にか、自分で気づかないうちに「人の為に生きているのに、なぜ報われないのか!」に変わっていたことに気づきました。
そして、ドンドンと「人の為」ということに囚われ、歯止めが利かなくなり、人の思いなんて関係なく、ひとりで突き進み、勝手にイライラし、崩れてしまっていたように思います。
この間違いに、気づかせ下さりありがとうございます!
「人の為」で偽りなのですね。何か少しすっきりました。
考え方が、間違えていたように思います。
また、先生の「早く忘れるべき!」と言うことが、「間違ったこと」とおっしゃって下さったので安心しました。感情の渦に巻き込まれ、このまま駄目になるなら、本当に早く忘れた方がいいのかも…と思ったりもしましたが…。
「自分の人生受け止めて生きていくしかない」この言葉に頭を打たれました!
本当ですね。私は自分を責めたくないからか、人のせいにばかりしていました。での人と比べたり、人に責任をなすりつけようとしたところで解決はしないですね。
だいぶ気持ちの整理ができ、葛藤の渦からは抜けだせそうです。
ありがとうございます。
今度はしっかりと向き合い、一生忘れれことなく思い、償いながら生きて行こうと思います。
本当に、本当に、有難うございましたm(__)m
開運寺 秋山現信 様
お忙しい中、御回答頂きありがとうございます。
すごく生きるのが辛く、こんな人生もう疲れた!何故こんなに迷惑かけてまで生きなくてはいけないのか…生きていて何になるのか...と今は思ってしまいますが、私だけではなくみなさん人生修行なのですね。
恩を忘れていたから、こんなに生きることが辛く思うのかな。
気持ちにまだまだ波がありますが、「つらい経験も勉強だ」と思えるように、早く切り替えていければと思います。
そして、あの子の辛さを思うと「笑顔」はいけないと思っていましたが、笑顔は大切なのですね。
今後は秋山様のおっしゃる通り、笑顔を大切にしてみたいと思います。
長い文章を読んで下さり、また良きアドバイスを下さり有難うございました。
開運寺 秋山現信 様
お忙しい中、御回答頂きありがとうございます。
すごく生きるのが辛く、こんな人生もう疲れた!何故こんなに迷惑かけてまで生きなくてはいけないのか…生きていて何になるのか...と今は思ってしまいますが、私だけではなくみなさん人生修行なのですね。
恩を忘れていたから、こんなに生きることが辛く思うのかな。
気持ちにまだまだ波がありますが、「つらい経験も勉強だ」と思えるように、早く切り替えていければと思います。
そして、あの子の辛さを思うと「笑顔」はいけないと思っていましたが、笑顔は大切なのですね。
今後は秋山様のおっしゃる通り、笑顔を大切にしてみたいと思います。
長い文章を読んで下さり、また良きアドバイスを下さり有難うございました。
川口 英俊 様
お忙しい中、御回答頂きありがとうございます。
「水子供養」に対して、お地蔵様にお任せすると言う言葉に安心しました。
何かとりつかれたように泣いていましたが、あまり長く苦しむのは良くないのですね。
自分で泣き子の分まで…と力が入り体を壊し、と悪循環に陥っていたように思うので、もう少しお地蔵様にお任せしてみようと思います。
「自利・利他」仏教では善因善果、悪因悪果の法則と言うのが基本で、また「人の為」に囚われていましたが、「相手も幸せとなり、自分も幸せになる」というバランスが大切なのですね。
川口様の日記の「菩提心論」も少し拝見させて頂きましたが、いつか私も気持ちが安定したらこの「菩提心」を伴った善徳行が出来るようになればいいなと思います。
大変勉強になりました。有難うございました。