父の死 後悔ばかりです
先日父が70歳で急死しました。
亡くなってから1ヶ月ほど経ちましたが毎日苦しいです。
私の判断ミスで亡くなったんじゃないかと後悔しています。(時間の都合であまり評判の良くない病院に連れて行ってしまいました)
また、生前も、私は自分の事で精一杯で父の事を気にかけてあげなかったと今になって後悔しています。
父の借金を知りながら助けなかった事が後悔ですごく苦しいです。
借金はパチンコで出来たものだと思いますが、事情があって5年程前に私だけが知ってしまいました。
その後兄に相談したものの自分は直接父に言われていないからと特に動いてはくれませんでした。
母には言えませんでした。昔から父にはお金で苦労させられたようなので、言ったらショックで家庭崩壊していまうんじゃないかと思いました。
私はお金がなく助けませんでした。
でも、お金がない理由が、仕事と病気(強迫性障害)のストレスで外食費や服飾費等に給料を全部使っていたからです。
リボ払いもしていました。
さらに、車の購入費や車検費用が払えず、母に援助してもらっていました。
父は持病があり通院していましたが、最近症状が酷くなっていたようなので、もしかしたらもっと違う治療がしたかったかもしれませんが、私が母に金銭的に迷惑をかけていたばかりに、母に言えなかったのではないかと思います。
借金の負い目があるからなおさら言えなかったのではないかと。
今になって色々分かったから言える事かもしれませんが、高齢だと新たに借りる事は出来ないんだから、私が何とか工面して今ある借金は精算してあげて、借金というストレスをなくしてあげれば良かった。
今思うと、はっきりと助けてとは言われてないですがSOSがあったような気もします。
亡くなる何ヵ月か前に、1万円貸してと言われて貸し後日返ってきたり、俺に投資しないかと言われたり、その時にもっときちんと話をすれば良かった。
でも、亡くなるまで私は自分の事で精一杯で気づけませんでした。
浅はかでした。
母にすべてを話し謝りました。
お前は悪くないと言ってくれましたが、本心では違うんじゃないかと思ってしまいます。
美味しい物を食べても、好きだった服や雑貨を見ても、これらを欲求のまま買ったばかりに父や母に辛い思いをさせてしまったと思うと何も楽しめなくなりました。
私はどうしたらいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私にも子供がいますが、子供に借金を返済してもらうことよりも、子供が美味しいものを食べたり、好きな服を着たりして、笑顔でいてくれることが一番嬉しいです。
お父さんもそう思っていたと思います。
あなたはやるべきことはやりました。
自分をそんなに責めないでくださいね。
浄土に居られるお父さんにあなた達の笑顔を見せてあげてくださいね。
後悔は尽きないでしょうけれど
拝読させて頂きました。
お父様が突然お亡くなりになられあなたは大変悲しい思いをなさっておられるのですね。そして後悔の念を深くなさっておられるのですね。あなたのお気持ちをこころよりお察し申し上げます。
お父様が必ず仏様に導かれて仏様のもとにてこころから安らかになられます様切に仏様にお願いさせて頂きます、そしてお父様をこころよりご供養させて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お父様は必ず仏様に救われて一切の苦しみから解放されて仏様のもとで心から安心なさって下さいます。親しい方々やご先祖様方にお迎えなさってもらい素直になられることでしょう。そして円満なこころでご成仏なさります、これからもあなたやご家族の皆さんを優しく守っていて下さいます。
あなたのその悲しみや後悔は尽きないでしょうけれどもその思いをお父様に手を合わせてお伝えなさって下さいね。お父様はあなたの思いを全てうけとめて下さいます。きっとお父様はあなたのその様な思いを有難いと思われることでしょう。
お父様がその病院にいかれたのは様々な関係性やタイミングの中でそうなったのです。決してあなたのせいではありません。お父様はその様な中でご自分の人生を一生懸命に生きていかれたのです。
仮にどんなにすごい病院に行っても、すごい医師に治療を受けてもやはりお亡くなりになる方はいますし、人が亡くなることは必定です。それがその時だったのです。
また金銭的なことはあなたのお金ですからあなたがご判断してお使いなさるのでもんだいないですよね。
お父様はギャンブルで借金を作っていらしたのですからその様な経緯の中で人に対する金銭的な信頼関係はなかったのです。ですから必然ではなかったでしょうか。
もしかしたらギャンブル依存症であったかもしれません。であるならばお金を貸しても無理です。湯水のようにお金を貸しても与えても足りることはありませんからね。
どのような人も親への後悔の念は人により大なり小なりあるものです。ああしてあげればよかった、こうしてあげたかったという気持ちは積もるものです。その思いはどうかこれからお父様をご供養なさるお気持ちに変えていって下さい。
いつ如何なるとこでもいつでも合間合間にお父様を思い手を合わせて真心込めてご供養なさって下さいね。
お父様とのご縁はこれからもずっと永遠に続くのですからね。