優しくした分だけ優しくされたい
私は褒めたり優しくした人に対して、口には出しませんが、「私が優しくした分だけ優しくしてほしい」と望んでしまいます。それが本当に嫌です。
私は友人が困っていたり悩んでいたりすると、どうしたの?とすぐに声をかけ、相談に乗ります。この事から、あなたは優しいと言われることが非常に多いです。
しかし、私は人に優しくすることが好きなだけなのです。それをしている時が一番気持ちが良いからそうしているだけなのです。エゴで人に優しくしています。
その上、私が優しくした分だけ優しくしてほしいなど考えてしまいます。
優しさに見返りを求める浅ましい考え方が嫌なのに、それを変えられません。苦しいです。友人が喜んだり、ほっとした表情をしてくれることは確かに嬉しいのに、その代わり私にもこうしてほしいと、口には出さずとも望んでしまう心が嫌です。
どうしたらこのような考え方をやめられるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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陰徳
仏教では「陰徳」(いんとく)という言葉があります。
修行者が徳を積むための善行を実践する時は、人知れず行うべし、ということですね。
誰にも知られないところで善い行いを施すところに、心の修養の真髄が隠されていると言うことです。
夏芽さんが人に優しくして、それが苦の原因になっているのなら、いっそのことそんな「お返し目当ての善行」はやめてしまいなさいよ。
あなたの心の健康を考えるのなら、その方がまし。嫌われたっていいじゃんww
でも、あなたが真に「優しい人」になりたいと思うなら「陰徳」を積む努力をしてみよう。
誰も知らないところで善いことしよう。
それが続けば、そのうち「浅ましい自分」みたいなの、どうでも良くなってくるよきっと。