いじめ後遺症
いじめ後遺症はどうやったら治りますか。いじめの傷です。
私の場合、田舎で世間が狭い為、10年以上、大多数にいじめられていたので記憶が様々で色々ありすぎて
次から次へと鮮明に思い出します。
環境を変えても、昔いじめられてた等の話が他人から伝われば"あいつは嫌われてたからいじめてもいいやつなんだ"、"弱いし、みんないじめてるからいじめても構わない"と人に思われ、いじめられるの繰り返しでした。
傷を癒したいけど全く癒えません。
人に対して警戒心が強くなり、自分に自信がないです。いじめてきた人には復讐したいけど、出来ません。
謝罪してほしい、又は反省してほしいけど、そんなことは不可能です。
いじめの年数が長かったので本当に真から幸せになるという事は諦めています。日本がもし、安楽死を選択出来る国ならそれを選択していたでしょう。
いじめを思い出し、涙は止まらないし、悪夢は見るし、人が怖くて、顔色を伺ってしまいます。
ちょっとでも楽になりたいです。
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無条件に愛されているという実感
イジメって嫌ですよね。私も過去にいろんな嫌な経験があります。先日、広島の片田舎の若いお坊さんの法話を聞かせてもらっていたら、その人も田舎の狭い固定した人間関係のなかでイジメを受け続けた辛い経験を語っておられました。寺の子は特殊な存在ですから、イジメの対象になることがあります。イジメって本人がどうのという問題じゃなく、ラベルを貼られた万事休すということですものね。
さて、無視され、のけ者にされ、モノを隠され、……を長い期間にわたりし続けられると性格がそんなふうになってしまいます。私もそうされたこともありますからそうなってしまっています。そこから脱するには、無条件に愛されているという実感を得る必要があるんじゃないかと思います。簡単にいっちゃうと、イジメとは真逆の体験を重ねるということですね。
具体的には、よいお坊さんまたは牧師さん、要はあたたかい心を持った宗教者と出会うことじゃないかと思います。そして、そのお寺なり教会なりに通って信者さんたちと交流し、それを継続するのがよいです。ボランティア活動でもよいのかもしれません。が、やっぱり私はあたたかい宗教家とその人を中心にした温もりに包まれた集いに参加するのがいいと思います。
私自身の活動を例にとりますと、彦根市のお寺で月二回ですが、子ども食堂を行っています。リーダーは会場を提供してくれている彦根市内の寺院住職です。この人は宗教的な愛(仏教では慈悲)を体現している方です。だからこの人を中心に多くの人が集まります。子ども食堂のボランティアさんもお互いを尊重し合って限られたスペースの厨房で何品もおかずを作っています。そのなかで安らぎや生きている実感などを得ていきますので、ボランティアさんも救われているのだといえます。
hasunohaでお坊さんと繋がりを持つのはよいことですが、直接にお互いの息遣いが伝わっては来ません。こうしたものにはこうしたものの意義がありますが、お坊さんや牧師さんとじかにつながっていくのも重要なことです。ことにあなたにはそれが必要だと私は思います。