hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

愛猫が亡くなりました

回答数回答 2
有り難し有り難し 110

昨年の9月に22歳の猫が、今月の2日に8歳の猫が亡くなりました。
わずか半年の間に立て続けに愛猫を亡くし、辛いです。

特に辛いのは8歳のコです。
まだ若いのに癌になってしまい、最初の異変からたった3ヶ月で亡くなってしまいました。
最期は苦しむ事なく穏やかに息を引き取りましたが、猫にとっての3ヶ月の闘な病生活は長く苦しい時間だったと思います。

何故このコが癌にならなければならなかったのか、良い事しかしてこなかったのに、何でこんなに苦しい思いをしなければならなかったのか、悔しい思いでいっぱいです。

家の中のどこをみても猫との思い出が蘇ってきて泣いてしまいます。

うまく書けないのですが、とにかく苦しいのです。
どのように考えたらこの気持ちが楽になるのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

逆に死なないなんてことは絶対にないのですから

こんにちは。
いつか死亡率100%の丹下かくげんともうします。
わたしも死にます。
ネコも死にます。
あなたは死にません。あ、ウソです。
あなたもいつか残念ながら死にます。
人は、身近な命の存在の死を通して、そこで初めて死を学ぶのです。
ですが、死は終焉ではありません。
日本には、あなたと同じように愛するペットちゃんが死んでしまった人が沢山います。
悲しいでしょう。
ですが、「悲しい」という心だけを行為するのはやめましょう。
もっと、感謝したり、手を合わせたり、向き合ってあげてください。
わたしが死んだネコちゃんだったらこう思いますよ。
ネコちゃんに代わってお届けします。
「何でご主人様はずっと泣いてばかりいて、私に話しかけてくれニャイんだろう。確かに一緒に居るのは心地よかったけど、ずっと一緒には居られにゃいニャン。オラッチの為にニャイてくれるのは嬉しいけど、あんまりニャイてばかりだと、後ろ髪(シッポ)を惹かれる思いにゃん。もっと、楽しかったことを思い出して喜んでくれた方が嬉しいニャン。」
という気持ちもあります。
あなたは猫を愛していた。悲しみ続けることを、本人が、いや、本猫が望んでいないのだから、もう悲しみむ、ということをするのはやめるべきニャン。これからも関わりは続いていくから、話しかけたり、ためにウマいもの食べさせてあげてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

阿弥陀仏にお任せしましょう

人は命が尽きると阿弥陀仏によって極楽浄土に連れて行って貰います。
しかし、経典には猫も極楽浄土に連れて行ってもらえるとは記載されていません。
そもそも極楽浄土に行くには、一度でも南無阿弥陀仏と称える必要があります。
しかし、猫は称えることがてきません。
そのため、猫は輪廻転生から解脱できず、何かに生まれ変わると解釈されています。

しかし、誰一人差別無く全ての人を救うという大慈悲を持つ阿弥陀仏であります。
あなたにとって大切な猫を救わずして、あなたを救うことができるでしょうか。
あなたを救ったことになるでしょうか。
なりませんよね。

阿弥陀仏のお心は私にはとても分かりませんが、きっと猫にとって良き方向に導いてくれると思います。
あなたも安心するように導いてくれると思います。
例えば、極楽浄土で再会できるかもしれません。
例えば、人間に生まれ変わって、なぜか動物を病から救いたいと思って獣医師を目指すかもしれません。

阿弥陀仏にお任せしましょう。
どうか猫の望みも考慮して良き方向に導いて下さいと祈りましょう。

南無阿弥陀仏

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

煩悩スッキリコラムまとめ