心穏やかに
我儘な気持ちや贅沢を抑えて
心穏やかに 気持ちが満ちたりて
過ごせるようにしたいと思います。
…自分が ではなくて人に目を
向けられる…
そのような徳を積む生き方が出来る
知恵 心構えをお教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
情けは人のためならず
単純な話です。「他人とためを先にすると結果的に自分のためになる」と知るだけです。「自分を押し殺して他人に尽くす」のは智慧ではありません。自分を殺生しとるだけです。あくまで「他人のためイコール自分のため」です。
私はよく頭の中でグルグルモヤモヤ考えてしまうタイプです。でも昨日、回答を書きながら「そういえばここ1週間くらいグルグルモヤモヤが無かったなー」と気付きました。なぜでしょうね。
hasunohaで回答していたからです。ご飯食べながら回答していましたし、夜寝る時間も削って回答していました。回答しながら、他者と関わるということをしていました。そしたら一切グルグルモヤモヤしなかったのですね。それだけです。
他者というのは人でなくてもいいのです。食べるなら食べ物や食器、掃除なら掃除機やホウキ、トイレならお下の筋肉、目の前の1つ1つに自分を委ねてしまえば良い…それだけです。(え?飯食いながら回答してるんじゃねーって?ハイ、ごめんなさい…)
どうやったらそんな心構えが出来るかですって?お坊さんがそう言ってるのだからウジャウジャ言ってないで信じてください。私だってお釈迦さまがそう言ってたって師匠に聞いたからやってるだけです。世の人はみんな考えすぎなのです。バカになってやっちゃえば良いのです。
こころ穏やかに満ち足りる 禅
はじめまして。さくらさま。
心穏やかに 気持ちが満ちたりて
過ごせるようにしたいとのこと。
まさに、仏道の極みでしょう。
仏道を知ることつまりそれは、自分自身を知ることです。
自分と言うと体のあるこの体のことだと一般的に思います。そして、自分らしさとか自分の考えとか、自分を超えてなんてことを言い出すと自分がなんだか心臓のあたりの「心」と言われるところにあるのか。頭の中にあるのかと考え始めます。
そうした謎を徹底的に追及し自分という存在を知るのです。自我と言われる我儘の部分は本当はないということが分かります。考えと事実の区別がつき、安心して事実のまんまで生きることができます。
こころ穏やかに。
そのためには禅を実践します。六根(眼耳鼻舌身意)の六根に働きのままに今を生きている自分を見つけるのです。ぜひ坐禅をしてください。
学んでみてください。
質問者からのお礼
お忙しい中 有難いお言葉を頂きまして
ありがとうございます。
頭で考えすぎずに心に従います☆
座禅 体験してみようと思います。