分かりません
仏教ってなんですか。お答えをいただく度に分からなくなりました
私達相談者皆凡夫という意味ではなにも変わらないのに、もうひとりぼっちだと嘆く人には「私達は友達です」と言い、「友達になっていただけますか」問うと「私達は向かないんじゃない?」と仰います
お坊さんにも人を選ぶ権利はありますが、同じ仏教なのに相談者に対してか分かりませんが、お坊さんによってあまりの温度差に猜疑心と言うか、混乱というか、相手を選ぶ基準というか、形容しにくいのですがよく分からなくなりました
今まで相談にお答えいただいた皆さま方へ。
私なんかの回答に、傷ついたこともありましたが、お時間と労力を割いてくださり、ありがとうございました。
さようなら
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここはあなたにとって決して耳触りの良い回答ばかりが来るわけではありません。仏教の立場に立ち、あるときは優しくあるときは厳しく答えが入ります。たったひとりの方の回答で、全ての回答を「もういいですさようなら」とシャットアウトするのは、あなたにとっていい方法ではないと思います。
悩み苦しみの原因を消したり制御したりする教え
仏教とは、悩み苦しみの原因を消したり制御したりする教えだと思います。
悩み苦しみの原因とは、私たちの心の中の煩悩です。
煩悩を消すとは、真理を悟ることです。煩悩が消えると、煩悩に伴う悩み苦しみも消えます。
煩悩を制御するとは、煩悩を消してはいない(悟ってはいない)人でも、煩悩を多少コントロールでき、煩悩をコントロールすることで、悩み苦しみを制御できるのです。
煩悩を消す(悟る)のは難しいですが、煩悩の制御は私たち凡夫にもけっこうできます。
たとえば、怒りの煩悩を消す(怒らなくなる)のは難しいですが、怒りを素早く鎮めるなどは、私たち凡夫にも可能です。
仏教は、悩み苦しみを消したり制御するためのコツを説いています。
注意点としては、新しいコツを身につけるためには、自分を変えなければならないので、自分のキャラや自分の考え方、自分のプライドを少しずつでも破壊していく必要があります。
お坊さんの回答内容の中には、質問者自身の変革を迫るアドバイスもあり、質問者の中には、そのアドバイスを「攻撃」だと感じる人もいますね。
しかし、お坊さんの回答は、質問者のバージョンアップを迫るものであって、攻撃ではないのです。
なお、仏教で「善友」のことを「善知識」とも呼びます。仏教の知識を教えてくれる人が善友、善知識です。
お坊さんが、同級生とか遊び仲間とういうイメージの友達にはなれなくても、善知識にはなれるかもしれません。
仏教は心の安心の為にあります
質問拝見しました。また、過去の質問も拝見しました。
まず、教学的に仏教には様々な経典、考え方があり、それぞれに主張が異なります。
そして、それを解釈する人間によってやはり意味が若干異なります。
本当は解釈する人間の部分は不要で経典に書かれている事が全てなのですが…
それでも仏教は心の安寧、安心の為にあります。今回はその仏教を広げる我々の言葉で傷ついている事、申し訳なく思います。
さて、友人についてなのですが、一緒に遊ぶ人、寄り添う人、相談をする人、される人、助ける人、助けられる人、攻撃する人、される人…人間関係は複雑で沢山の関係性があります。
でもそれらは全て細かいことです。何故なら一緒に遊ぶ人の中に上記全て内包してるし、親とだって遊びます。
つまり、友人という言葉でむりやり括る必要はなく、その時隣で一緒に寄り添えればそれだけで何よりではないでしょうか?
決して馬鹿にするわけではないのですが、NHKのドレミファどーなつ?という幼児番組のオープニングに
『一度あったら友達で毎日あったら兄弟だ』
というフレーズがあります。
人間関係はこんなに単純では無いですが、しかし、このフレーズは仏教に凄く近い尊い考え方だと私は思っています。
僧侶だから友達とか難しく考えず、一個人として一緒にいたい人、信じられる方に相談、愚痴を言ったりしてみては如何でしょうか?
直接面識は無くとも、ハスノハの僧侶様方は既に友人関係であると思いますので。
質問者からのお礼
お礼が遅れてしまい申し訳ありませんでした
相談に応じてくださるだけでも感謝すべき事なのに、真摯にお優しい言葉でそっとお声掛け頂き、有り難いやら恥ずかしいやら…
情けない私めですが、未熟ゆえお付き合いいただければ幸いです
本当にありがとうございました